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第98回 (平成22年3月号)

「内規なんて知りませんよ…!?」
内規は管理職専用の規程です!

SRネット神奈川(会長:花上 一雄)

相談内容

「お前はどれくらい昇給した?」営業のT社員が同僚に尋ねています。T社員は入社5年目の中堅社員ですが、M社の評価と賃金には、いまいち納得感がありません。というのも、自分の売上高と昇給・賞与が反映していないと思っているからです。このT社員が昇給額を尋ねたのは、同期入社のR社員でした。R社員は、T社員ほどの派手さはありませんが、何事にも堅実で、顧客からもその誠実さを評価されています。
売上では、T社員の方がR社員を上回っていますが、社内外の人物評価は、R社員の方が上々といったところです。「去年よりも少し増えたかな…」というR社員の言葉にT社員は驚きました。「え?、お前より俺の方が売上あるよな…どうして俺は去年と同額なんだろう…納得いかないな?」「売上高だけではない他の評価要素があるんじゃないの…」R社員が答えると「しかし、賃金規程には、年齢・勤続・勤務成績によって基本給を決定する、しか書いてないよ、年齢・勤続はお前と一緒じゃないか…」

R社員と議論しても仕方ないと思ったT社員は、思い切って総務部長に質問することにしました。「会社には“内規”というものがあってね、昇給や昇格、人事異動を決める際の運用基準があるんだよ、就業規則には、細かいことまで書けないし、我々中小企業の場合は、社長の考えもあるしね…」総務部長の話を聞いたT社員は、ますます納得できなくなりました。「ということは、一生懸命売り上げても、その結果は役員の方々にお任せ、ということですか、人の好き嫌いで給与を決めるということですか…それじゃ、やりがいも何もありませんよ、少なくとも自分とR社員を比べて何が違うのかを教えてくれませんか」と食い下がるT社員を「まぁ、悪いようにはしないから、会社を信じてこれからも頑張ってくれたまえ」と総務部長は話を打ち切りました。

相談事業所 E社の概要

創業
昭和45年

社員数
38名 パートタイマー8名

業種
建具の卸売業

経営者像

住宅建築に必要なあらゆる資材を取り扱うM社のE社長は、62歳、古くからの得意先が多く、営業には特に力を入れています。営業は「売ってなんぼ」ではなく「無理をしない長いお付き合い」が重要だと考えています。


トラブル発生の背景

中小企業では、まだまだ昇給や賞与額決定の仕組みが明確ではありません。人間性を重視するあまりに、現実の勤務成績が軽視されることもあります。 一般社員に公表されない“内規”の存在は、社員のモチベーションを低下させるだけでなく、労働条件を明示していないことにもつながる恐れがあるかもしれません。

経営者の反応

総務部長の話を聞いたE社長は「そういうところが評価を下げているのだ!と言ってやればよかったのだよ、確かに売上はあるが、普段から何かと文句が多く、去年の売上にしてもラッキーが重なっただけだろう…」と半ばあきれ顔で、これ以上の話は必要ない、と総務部長を退けました。
数日後、T社員が中心となったグループが、“昇給・賞与決定の明確化に向けて”という文書を全社員に配布し始めました。「会社に無断で労働組合みたいなことをするな!」総務部長が止めに入りましたが、「これは正当な問題提起です。この会社でずっと頑張りたいから、目標をお示しくださいということだけですよ」T社員は総務部長を無視し、配布を止めませんでした。
話を聞いたE社長は激怒し、「Tを含め関与した者は全員懲戒だ!他にやりようがあるだろう、いきなり文書配布とは何事だ!だいたいお前がしっかりしていないからこんな騒ぎになるのだ!責任持って事態を収拾しろ」と総務部長を怒鳴りつけました。
困り果てた総務部長は、早急に本件を解決できる相談先を探すことにしました。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:中村 昌典)

まず、M社の内規と人事考課について考えてみましょう。
定期昇給に際して、対象期間における個々の労働者の成果や能力その他を査定して、次年度の昇給や等級等を決定する人事考課は、企業の人事制度において重要な位置を占めています。従来の年功序列型の人事制度に代わって、近年では、能力主義や成果主義による賃金体系なども導入されているため、なお一層のこと、個人ごとの人事考課や処遇が問題視されるようになってきています。
さて、労働基準法は就業規則に記載すべき事項を定めており(労基法89条)、これらに関する事項については就業規則で定める必要があります。賃金に関しては(同条2号)計算、支払方法のほか「昇給に関する事項」とあります。しかし、ここでいう「昇給に関する事項」はごく一般的な事項を定めることを要求されているに過ぎず、人事考課の査定方法の詳細まで規定することが想定されている訳ではありません。M社のいう内規とは法律に根拠を持つものではなく、あくまで社内の人事考課用の査定基準として位置づけられるものと解されます。

次に人事考課の公正さ確保の要請についてはどうでしょうか。
労働基準法3条の均等待遇、同3条の男女同一賃金、雇用機会均等法6条の男女の差別的取扱、不当労働行為(労組法7条)といった問題を除き、一般には、人事考課における査定権者、査定項目、査定の幅と基準ないし、その運用等に関しては使用者の裁量に委ねられているとされています。したがって、査定の妥当性については査定権者が人事考課の制度趣旨に反して、裁量権を濫用したというような場合でない限り、不法行為には該当しないものとされています。光洋精工事件(大阪高判平成9年11月25日労判729号39頁)では「人事考課をするに当たり、評価の前提となった事実について誤認があったとか、動機において不当なものがあったとか、重要視すべき事項を殊更に無視し、それほど重要でもない事項を強調するとか等により、評価が合理性を欠き、社会通念上著しく妥当を欠くと認められない限り、これを違法とすることはできない」と判示されています。
他方、降格処分については、当該会社の基準が降格に関する裁量を制約しているとして、降格前の等級の地位にあることの確認及び賃金の差額の請求を認めたマッキャンエリクソン事件(東京高判平成19年2月22日労判937号175頁)が、使用者の人事考課の裁量権に一定の制限を加えようとするものであると評価されています。
学説においては、使用者の人事考課に関する裁量権についてその基準の明確化を企図し、使用者の公正評価義務を措定し、?公正かつ客観的評価制度の整備・開示、?それに基づく公正な評価の実施、?評価結果開示・説明義務の三基準をクリアした場合に、使用者の公正さ確保の整備義務が満たされると説くものがあります(以下、論点整理につき岩出誠編「論点・争点現代労働法〔改訂増補版〕」民事法研究会303頁以下)。

?公正かつ客観的評価制度の整備・開示の具体的内容指摘事項

 ア、目標管理制度等の双方向的制度の整備
 イ、透明性・具体性ある評価基準の整備と開示
 ウ、評価の納得性・客観性確保への評価方法の整備(多面的評価等の導入)
 エ、評価対応処遇への明確なルールの整備

?公正な評価の実施の具体的内容指摘事項

 ア、評価基準に即した評価の有無
 イ、労働者の能力即応の目標設定の適切性
 ウ、能力発揮の環境整備の有無(職務付与の適切性、能力開発の機会の提供)
 エ、評価者の評価能力が問題とされています。

?評価結果開示・説明義務の具体的内容

人事考課をめぐる個々の労働者の裁判等の困難を踏まえて、人事考課をめぐる「苦情処理・紛争処理制度の整備」の必要性が指摘されています。

M社が単に売上高だけはなく、人間性も人事考課上重視していることは使用者の人事考課の裁量の範囲内であり、特に問題ないといえます。損保ジャパン事件(東京地判平成18年9月13日労判931号75頁)において、人事考課が業績だけでなく、職務上の交渉相手や関連組織との人的関係や職場内での協調性など、数字だけでは表わせない要素も総合して行なわれるものであり、当該人事考課の手続や方法が適正であったと判示しているところが参考になります。
もっとも、前述した学説が示す基準に照らしてみると、M社の人事評価の透明性や開示、結果開示や説明義務といった点に問題があることは否めません。人事考課の公正さに疑問をもっているT社員には、やはりきちんと考課の結果内容を含めて説明すべきではないでしょうか。労働者の意欲を削ぐことなく、また労使間の紛争を未然に防止するためにも、人事考課基準は労働者に開示し、透明性の高い運用を心がけるべきと思われます。

ところで、T社員らの書類の配布が「職場規律違反」になるかどうかという問題ですが、勤務時間中、他の社員の仕事を妨げるような態様で配布したというのであれば、職場規律違反に該当するでしょう。しかし、休憩時間中に、特に職場の混乱を招くことのない態様で配布されたとしたら、書類の内容も必ずしも明示されていない「問題提起」にとどまるものとすれば、企業秩序を乱すおそれが少ないものと考えられ、懲戒の対象とはならないものと考えられます。
会社は、T社員らを懲戒することによる強圧的な幕引きを図るのではなく、これを機に、人事考課の査定基準を全社員に開示するなどして、M社が使用者としての公正評価義務を適切に守っていることを積極的にアピールした方が、かえって迅速に解決に向かうのではないでしょうか。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:望月 昭男)

本件について根本的な解決策を考えた場合、単に労務管理の問題としてではなく、大きく経営問題としてとらえることが必要です。
E社長は「売ってなんぼ」ではなく「無理をしない長いお付き合い」という営業方針を持って、顧客満足度を重要視して創業後約40年経営し、現在の規模にまでM社を育ててきました。しかし、規模の拡大に伴って社長の経営マインドが全社員に十分に伝わっていない事態が生じているようです。
今後、E社長は経営理念を明確にし、社長の志(こころざし)を社員と共有できる会社風土を造ることです。E社長がどんな会社をつくっていくのか、「無理をしない長いお付き合い」という一つの理念を発展、充実させて、社員全員と共有できる経営理念を策定し「人材」を「人財」にしていくことが重要です。経営理念に基づいた経営方針を社員全員が深く理解して、職務上それを実行できる「人財」を育てることが優れた会社を造る大事な要素だと思います。
「関与した者は全員懲戒だ!」というようなことで、社員を封建的、強制的に従わせようとすることはできません。良い従業員を育てようとするならば、経営理念とともに会社が求める従業員像を、理念だけでなく評価制度を通じて明らかにしていく必要があります。そのためには、社員の人事考課制度を設け考課基準を公開し、会社の求める社員像を明確にすることです。
T社員は売上高を上げ、会社に貢献しているのに、正当に評価されていない、という不満を懐き、売上を上げていない社員が評価されていることに不公平感をもったのです。
総務部長からも相手にされなかったので、不満が爆発したのでしょう。

E社長は団塊の世代で、社員は雇われているのだから会社の言うことに黙って従って働けば良いのだ。いわば雇われているということは、封建時代でいえば主従という身分関係を結んだのだから、与えられた仕事を従順に行わなければならない。余計なことは考えてはならない、と思っている時代錯誤の認識をもつ古い世代の経営者のようです。
しかし、現代の労働者は権利意識も強く、そのうえインターネットの普及により労働基準法や労働契約法などの労働者の権利についても相当な知識を得ています。E社長の考えに反し、対等な当事者間で結ばれる労働契約における労働義務は,全人格的な従属労働を意味していません。総務部長が止めろと指示した文書配布についても一定の問題点はありますが、T社員は労働者の権利を意識して「正当な問題提起です。」と従わなかったものと考えられます。
評価制度は、人財育成の具体的方針の下に賃金制度と一体化させて構築します。そして、社員一人ひとりの能力を活用し、能力開発により希望を与え、納得性のある公正処遇によって充実感・満足感をわかちあえる仕組みにすることが不可欠です。その基礎となるのが、公平な評価、評価者個人の価値観で偏らない人事考課です。
人事考課が公平に出来れば、社員の活用や育成が効果的にでき、公正処遇によりやる気が高まり、納得性があるため相互信頼にも結びついていくわけです。
ただし、評価や考課の手法にはさまざまな方法があり、絶対的な唯一の方法というものはありません。専門家に相談するなどして、最適な方法を選択することが大事です。

税理士からのアドバイス(執筆:松谷 洋)

本件は、査定ないし人事考課の難しさを企業が抱えていることを示しています。
概して言えば、評価システムの未整備、評価者の能力レベルの差異等により、社員が評価結果について不満を持っているといった状況が多く見受けられます。
今日の厳しい経済情勢の中においては、社員が退出行動に出ることは難しく、企業としては、不満を持った社員を抱えることになり、モラルハザ?ドを招きかねません。
人事評価は、昇進、人事異動、賃金等の重要な労働条件を確定させるための先行行為であり、労働条件の適正な履行のために必要不可欠な手続であると捉えることができますし、評価制度が合理的な内容で制度化されている場合には、契約的拘束を受けることになると考えられますので、公正な評価が求められているところです。
人事評価に対する考え方について、従来は事業者の広範な裁量権に基づく法的評価になじまない事実行為であると解されていましたが、今日では労働契約に基礎づけて法的コントロ?ルを受ける法律と解されています。
以下、本件において想定できる昇給、賞与、税務について留意すべき点について列挙します。
昇給、賞与の原資の算定については、当該企業の財務諸表(実績値)及び経営計画(予測値)の分析検討が基本であり、これが出発点ですが、これらの検討を度外視して場当たり的に原資の総額を決定するといったケ?スが多く見受けられます。
昇給、賞与の原資の算定の考え方は企業利益を基本に組み立てられています。
企業会計における損益計算の当期利益の算出方法は、売上高から売上原価を控除して売上総利益を算出し、販売費及び一般管理費を控除して営業利益を算出します。
次に営業利益から営業外収益及び営業外費用を加減して経常利益を算出し、経常利益に特別利益及び特別損失を加減して税引前当期利益を算出し、最後に法人税及び住民税を控除して当期利益を算出する計算構造となっていますが、この損益計算書のどの部分の数値を使用して適正な昇給、賞与の原資を算定するかの検討が課題となります。
この問題については、かなり多くの算定方式が紹介されていますが、当該企業に合った算定方式を確立することが必要であり、既存の算定方式を無検討に導入することは避けたいものです。また、労働分配率の算定に当っては、株主等に対する配当や将来の企業経営に備えるための積立金等の利益処分額を考慮することも必要です。なお、目標管理とリンクして経営計画が策定されることは不可欠な要素でしょう。

昇給原資の算定
本件の販売業における企業利益の源泉は、売上高から売上原価を控除した売上総利益に求めること(販売価格と仕入価格の差額)ができます。
これを経営活動の結果もたらされた付加価値の源泉と捉えることができますので、この付加価値をどの程度昇給原資として充当できるかと算定する必要があります。基本計算式は、次のとおりです。
今年度付加価値(予測値)÷ 前年度付加価値(実績値)?1=付加価値上昇率
人件費(実績値)÷ 付加価値(実績値)= 労働分率
   人件費(実績値)× 付加価値上昇率 × 労働分配率 = 昇給原資

賞与原資の算定
賞与原資の算定も昇給原資の算定と基本的な考え方は同じで、基本計算式は次のとおりです。
(付加価値 × 労働分配率)? 当期既払人件費 = 賞与原資
なお、賞与の場合の付加価値は、試算表により実績値の把握が可能となりますので、実績値を使用します。

製造業、建設業の付加価値の算定
製造原価、完成工事原価の中に現場社員の人件費が算入されていますので、付加価値の算定の基本計算式は、次のとおりです。
製造業:生産高(販売価格)? 人件費を除く製造費用 = 付加価値 
建設業:完成工事高(受注価格)? 人件費を除く建設費用 = 付加価値
これらの数値は、原価報告書によります。
中小零細企業においては、2年間に及び賞与の支給がなく、昇給どころか降給により何とか企業の存続を維持しているといった実状があることも無視できませんので、そうすると昇給ではなく、降給のためのマイナス算定をせざるを得ないケ?スも想定しておく必要があるかも知れません。

さて、昇給、賞与原資の個人配分は、人事評価の結果により計算することになりますが、評価の要素は当該企業の業種や経営方針によって異なるのが通常ですし、様々です。
評価要素を設定する前提として重要な事項は、経営計画に基づいて当該企業の求める社員像、各社員に対する目標設定が提示されていることです。
これらの提示された各項目について、評価を実施することが目標管理とリンクした人事評価となりますし、付加価値の増進を図ることになります。
昇給、賞与の個人配分は、各評価項目の評価結果を数値化してそのポイントにより、実施することになりますが、売上高ではなく、付加価値に基づいた成果配分となっていることが必要です。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRネット神奈川 会長 花上 一雄  /  本文執筆者 弁護士 中村 昌典、社会保険労務士 望月 昭男、税理士 松谷 洋



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