社会保険労務士・社労士をお探しなら、労務管理のご相談ならSRアップ21まで

第205回 (平成31年2月号) SR山梨会

「退職したのだから貸与PCや会社マニュアルを返してほしい」
「返却しないのなら、損害賠償請求したい!」

SRネット山梨(会長:高岡 伸次)

I協同組合への相談

一人で始めた清掃代行業も、社長の行き届いたサービスと営業力で、年々業績が拡大。それとともに人員も増加する必要があり、通年採用を行っているが、人手不足感は解消されたとは言い切れない。このため、時には「難有りかも?」という人も採用し、後に後悔することもありました。
Kさんは清掃代行業のノウハウをしっかり学んで、後々は経営にも携わっていきたいと意欲が高く、社長も久々に活きの良い若者が入社してきた、と期待し、現場から重要な取引先との商談までよく連れていきました。ところが、入社から1年半がたった頃から欠勤が増え、その後は無断欠勤が続き、何度も連絡をしてもつながりません。一人暮らしのKさんが、重篤な病気かなにか困っているのではと心配した社長は、総務の社員に家まで見に行かせたところ、なんと引っ越しており、転居先は不明。その1週間後にハガキで「退職しました」と通知が来たのでした。Kさんと親しくしていた社員がフェイスブックでつながっていたことから、フェイスブック上で、制服や貸与PCの返却を要請するもKさんは無視。その後、別の清掃代行業へ転職していることが発覚して社長は激怒。貸与PCにはA社の機密情報や会社マニュアルも入っているため、社長は貸与PCを返却するまで給与を差し止め、返却がない場合は、損害賠償請求をすると言っています。通常、A社では退職時に返却をしてもらい、機密保持契約書にもサインをもらっています。対応に困った総務部長はI協同組合へ相談をしました。相談を受けた事務局担当者は専門的な相談内容について連携している地元のSR アップ21を紹介することにしました。

相談事業所  組合員企業A社の概要

創業
1999年

社員数
正規20名 非正規25名

業種
清掃代行業

経営者像

やり手の営業マンだった社長が独立し、現在はインターネットも駆使しながら、営業拡大を図っている。人手が足りない場合は、社長も現場に出て率先して仕事を行っている。


トラブル発生の背景

退職後の会社貸与品を巡るトラブルです。勝手に退職したKさんに会社貸与の制服やPCの返却を求めるも、Kさんは現在のところ応じる気配はありません。このため、社長は返却するまで給与を差し止め、このまま返却されない場合、貸与PC にはA社の機密情報も入っているため、損害賠償請求を考えています。

ポイント

通常は退職時に貸与PCの返却を求め、機密保持契約書にもサインをしてもらっているA社ですが、今回は無断欠勤からの退職だったため、機密保持契約書にはサインがもらえていません。
このまま返却がない場合、社長の考えているとおり、Kさんに損害賠償請求ができるのでしょうか?

また、返却されない限り、退職までの給与を差し止めることはできるのでしょうか?
給与差止めではなく、懲戒処分としての減給は可能なのでしょうか?

今後のKさんへの対応も含め、注意点などA社の社長へ良きアドバイスをお願いします。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:麻布 秀行)

A社は、会社が貸与したPC(以下「本件PC」といいます。)を返却しないKさんにいかなる請求等を行うことができるのでしょうか。まず、会社が貸与したPCですので、その返還をKさんに求めることは当然できます。ですが、Kさんが本件PCを任意に返還しない場合には、以下の対応が考えられます。

 

1 損害賠償請求について
本件PCをKさんがあくまで返還しない場合、A社は、Kさんに対し、損害賠償請求することが可能です。ただし、その損害額については注意が必要です。すなわち、本件PCの購入価格全額を賠償させることは難しく、その一部の負担をさせることになります。なぜなら、本件PCが任意に返還された場合、当該PCの市場価値は、購入価格と同一ということにはならないからです。次に、社長は、本件PCに機密情報が入っていることも重要視していますので、当該機密情報(マニュアルや顧客情報)が入っていることはどう評価すべきでしょうか。本件では、機密保持契約書にサインはしていないとのことですので、退職後の秘密保持義務に関する明示の特約は存在しません。しかし、従業員は、労働契約の付随的義務の一つとして、会社の営業上の秘密を保持すべき義務を負っており、同義務は退職後も残存すると判断した裁判例( 仙台地判平7.12.22)もありますので、機密保持契約書にサインしていないということのみで、退職後の秘密保持義務はないと評価されることにはなりません。しかし、同機密情報の利用を不正、不法と評価するに際しては、労働者が有する職業選択の自由及び営業の自由の観点から導かれる自由競争の原理を十分に斟酌しなければならないとされていますので、単に機密情報入りのパソコンを持ち出し、競合他社に入社したというだけでは、秘密保持義務違反と評価されないと思われます。そのため、今後は、従業員が入社する際などに、どういった事態が秘密保持義務に反するのかを明示した誓約書等を入手するとともに、退職後の秘密保持義務に関する明示の特約を締結しておくべきと思われます。また、貸与物の返還や秘密保持義務に関する就業規則の規定の整備も必要といえます。

 

2 給料の差止めについて
さて、秘密保持義務違反に基づく損害賠償請求が認められるか否かの部分はさておくとして、本件PC 本体の損害賠償を求めることができるのであれば、同損害賠償請求権が存在することを理由に給料の差止めを行うことができるのか疑問に思われると思いますが、これは差し止めることはできません。なぜなら、賃金は、法令に別段の定めがある場合など、一部の例外を除いて、控除せずに全額を支払わなければならないとされているからです(全額払の原則・労働基準法(以下、「労基法」という)24条1項)。損害賠償請求権を自動債権とする相殺も許されません(最大判昭36.5.31等)。したがって、本件PCの返還がなされないことを理由に給料の支払いを差し止めることはできません。

 

3 懲戒処分としての減給について
それでは、懲戒処分の一種である減給処分はどうでしょうか。A社の就業規則に、本件のような貸与物の返還がなされない場合に減給処分することが可能であるといった項目があらかじめ規定されていれば、労基法の制裁制限の範囲を超えない限度で減給処分は可能といえます。
具体的な制裁制限は、①1回の額が平均賃金の一日分の半額、②総額が一賃金支払期における賃金の総額の十分の一を超えないことです(労基法91条)。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:高岡 伸次)

A社の退職者における会社貸与の返還トラブル事例です。社労士として三つの観点から確認します。

 

まず、会社からの貸与品が返還されない場合の賠償をあらかじめ約束させる「賠償予定」は労基法16条により禁止されています。「会社からの貸与品を返却しなかった場合は、○○万円」といった内容を定めてはいけません。ただし、会社が実際に被った実損害を賠償させることは問題ありません。損害賠償の徴収方法として、給与から勝手に控除することはできません。給与とは別に請求を行う必要があります。

 

次に懲戒処分として、減給の制裁ができるかどうかの問題です。原則として、退職して雇用関係が終了している者に懲戒処分はできません。しかし、不正行為が詐欺によるもので退職が取消しになったり、錯誤により退職が無効であるとされたりするような場合は、雇用契約は継続していることになりますので、懲戒処分は可能になります。あらかじめ、就業規則に懲戒処分について規定されていれば労基法の制裁制限の範囲内で減給制裁として罰することも可能です。減給の制裁は、負担額に加えて労基法の制裁規定の上限を遵守する必要があります。労基法91条は、「1回の額が平均賃金の1日分の半額を超え、総額が一賃金支払期における賃金の総額の10分の1を超えてはならない」と定められています。

 

次に給与の差止めができるかの問題です。労基法24条は「賃金は、通貨で直接労働者に、その全額を」、「毎月1回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない」とされています。これにより、給与の差止めはできません。違反した場合は、30万円以下の罰則が科せられます。
今後、会社の対応策として、最終給与を現金払いにすることもひとつの対策です。多くの会社は、銀行振込により給与を支払っています。しかし、振込の場合給与の差止めができないとなると一度給与を支払ってから罰金や損害賠償額を支払ってもらうことになります。退職時のトラブル社員のケースを想定して、最終給与を現金で直接支払うことにより、その場で同時に損害賠償金や罰金を支払わせる機会をつくることができます。現金支払いで対応するために、まず、会社備品の返却の催促及び備品紛失のための罰金額確定及び罰金支払いの催促をします。これで返却・支払いがされれば一番よいのですが、万が一、返却・支払いがされなければ「最終給与を現金支給に変更する通知を送る」といった流れがよいでしょう。これらを行う際は、もめた場合の証拠となるよう、必ず経緯や通知書などを書面で残すようにしましょう。これでも反応がない場合は、身元保証人へ連絡をし、それでも反応がなければ返還請求の訴訟を提起するほかないでしょう。このようなために就業規則を整えたり、備品の返却について周知を行ったりするなど、事前に準備が必要です。具体的には、「退職願を就業規則第○条第○項に定める方法(〇日前の届出)により提出せず、又は後任者に対して必要な引継ぎ業務をしなかったとき、又は会社からの貸与物を返還しなかった場合は、第○条の退職金の一部又は全部を支給しない場合がある」とするような規定を就業規則や賃金規程などに記載しておく必要があります。退職したからといって、いい加減な態度をとっている者に対して、毅然とした態度で対応することが重要です。また、退職時に退職理由を曖昧にせず、明確に書面で提出させ、後日の退職者の虚偽申告を立証し易いようにしておくことも必要といえます。

税理士からのアドバイス(執筆:上田 智雄)

ここでは退職したKさんへ貸与した会社の制服やPCが返却されないことによって生じる損害と、差止めがなされている給与に関する税務上の取扱いについてみていきたいと思います。

 

①貸与品を巡る損害について
Kさんへ貸与した制服とPCが返却されないことによって大きく二つの損害が生じると考えられます。
まず一つ目は備品そのものが消失した損害です。制服については、一般的には消耗品の扱いとなっており、すでに損金処理がなされているため留意することはないかと思います。これに対してPC は、資産計上されているのであれば、返却されないことが確定した時点で、減価償却後の残存簿価をもって損金とします。この相談時点では返却可能性が残っており、残存簿価を一括で損金にすることはできません。その年度の減価償却限度額の範囲で損金にするしかないでしょう。
また、二つ目の損害は、PC 内部に保存されていた顧客リストや業務ノウハウ、今後の戦略などが競合他社へ流出することによる損害です。自社の優位性が失われ、他者へ仕事が流れることによる機会損失です。この損害については、現実的な支出が生じていないため損金とすることはできません。損金にできるとしたら、訴訟にかかるコストなどに限定されます。

 

 

②未払給与に関する税務
会社は、給与の支払いにあたって源泉所得税及び復興特別所得税の徴収が義務づけられています。ただし、給与が定められた支給日に支払われずに未払いとなる場合、源泉徴収は給与を実際に支払う際に行いますので、原則として支払われるまでは源泉徴収は行われないこととなります。
給与の支払いが留保され、一部を支払残額が未払いとなる場合には、支払うべき給与に対する所得税のうち、実際に支払う給与の金額に対応する部分の所得税及び復興特別所得税を源泉徴収する必要があります。
具体的には、まずその月に支払うべき給与の金額を「給与所得の源泉徴収税額表」に当てはめて所得税及び復興特別所得税の額を求めます。次に、求めた所得税及び復興特別所得税の額に、支払うべき給与の金額を分母とし、実際に支払った給与等の金額を分子とした割合を掛けます。

このようにして算出した所得税及び復興特別所得税の額が、実際に支払った給与等から源泉徴収する税額になります。
また、給与差止めをする一方で、税務手続の義務は進行しています。会社は財務省令で定めるところにより、Kさんのその年の給与について、源泉徴収票2通を作成し、退職の日以後1月以内に1通をKさんに交付し、もう1通を税務署へ提出しなければなりません。この源泉徴収票をKさんに交付しなかったり、偽りの記載をして交付したりした場合は、規定上は1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処すこととされているので注意が必要です。もしトラブルの解決が延びてしまい、手続きが困難な場合は、税務署長の承認を受けることでこの義務が回避されるので、税務署に相談をしにいくとよいでしょう。
またKさんの退職が12月の場合は、Kさんの年末調整を会社が行う必要があります。その年末調整を行う際に未払が残っている場合は、その未払となっている給与の金額も年間の給与等の支払金額の総額に含めるとともに、その未払い給与に対応する所得税及び復興特別所得税の額も年間の所得税及び復興特別所得税の額の総額に含めたところで年末調整を行います。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
SRネットは、全国展開に向けて活動中です。


SRネット山梨 会長 高岡 伸次  /  本文執筆者 弁護士 麻布 秀行、社会保険労務士 高岡 伸次、税理士 上田 智雄



PAGETOP