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第76回 (平成20年6月号)

通勤手当の過払い!?
「通勤行為は自分の責任ですから…」??

SRアップ21鹿児島(会長:保崎 賢)

相談内容

「今日はよく頑張ったね。時間がある人は食事に行こうか」とT社長が社員たちに声をかけています。数名の社員は社長についていきましたが、残った社員とパート数名がひそひそと話し始めました。「食事に誘うより、3、000円くれないかなぁ…」「賞与はもう少し欲しいなぁ…」すると、あるパートが「この会社は通勤手当にうるさくないからいいですよ。前の会社はすごく厳しくて、バスを使っても全額もらえなかったりしましたよ」「そういえば、K君はオートバイで通勤しているのに電車とバス代をもらっているらしいよ…」「Uさんは、アパートに住んでいるのに、実家から通っていることにしているらしい…」と段々話が大きくなってきました。「ここは、T社長に談判して、正しい通勤手当の支払いをしてもらうようにしよう。何もしないで得する人がいるなんて変だよ…、その分賞与にしてもらいたいものだね」とリーダー格のS社員が言うと、みんな賛成しました。次の日、S社員を筆頭に3人の社員が社長と話し合っています。「そうか…それは不公平だな、これからはきちんと処理するようにするよ」とT社長が言うと「過去の過払い分はどうするのですか、食事に行けない人に代替手当はないのですか」とS社員が追及します。「それは…これから考えるよ」というのがやっとで、T社長はS社員たちを仕事に戻しました。「困ったなぁ…遡って返せ、というのも酷だし、かと言ってそれではS社員が納得しないだろうし…こんなことで社員に辞められたら困るし…」T社長は途方にくれながらも、とりあえずK社員を呼んで話を聞くことにしました。T社長の話を聞くや否や「決まりがないのだから、どう通勤しようと自由でしょう、それとも不正行為というのですか…」K社員は顔を真っ赤にして反論してきました。

相談事業所 E社の概要

創業
平成2年

社員数
16名(パートタイマー 12名)

業種
ドラッグストア

経営者像

市内に2店舗を有するE社は、大手ドラッグストアのフランチャイズ経営です。社員の定着に悩む48歳の若きT社長は、あの手この手で社員の処遇改善に努めています。しかし、社長の甘さが社員たちの不満を生むことになりました。


トラブル発生の背景

通勤手当は実費弁償的な性格を有しますが、あくまでも“賃金”です。E社の賃金規定には「通勤手当は公共交通機関の定期代相当額を支払う」としか定義がありませんでした。果たして、過去の過払い分は精算できるのでしょうか。また、通勤手当を正しく支給すると手取りが減る社員の取り扱いをどのようにすべきでしょうか。

経営者の反応

やっとのことでK社員をなだめたT社長は、次にU社員を呼びました。「両親の介護があるので、実家とアパートを行き来しています。割合的には実家から通勤する方が多いと思います」とU社員から冷静に答えられてしまいました。「困ったなぁ…もともと規定がはっきりしていないのが原因だが…」と悩んでいると、再びK社員がやってきました。「やはり…社長から信用されていないようなので、辞めようと思います…」とK社員。K社員は、薬剤師で店舗経営にはなくてはならない存在です。あわてたT社長は、なんとかK社員をなだめ「専門家に相談して、うまくまとまるようにするから…決して君のことを悪く言っているのではないのだよ」とK社員への説得に必死です。その様子をS社員たちが冷ややかに見守っていました。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:黒沢 佐和美)

このような不満は、表に出るか出ないかは別として、よく見受けられることと思います。従業員の立場としては、名目や形式如何でなく、全体的実質的な公平な取扱いが重要であることは言うまでもありません。
さて、本件での法律上の問題点としては、
(1)会社が過払い分を精算できるのか。
(2)できるとすると、いつまで遡ってどんな方法でできるのか。
(3)請求は必ずしなければならないのか。
(4)「意図的な嘘」「うっかりミス」での相違はあるか。
等があげられますので、以下個別に検討してみましょう。

【法的問題点その1】(過払い請求の可否)
民法では、払う必要がなかったのに払ってしまった場合、払った人はその金を返してもらうという規定があります(民法第703条・704条の不当利得返還請求権)。ところで、本件E社はK社員・U社員に「支払う必要がなかった」といえるのでしょうか。
それは、支払う根拠規定の内容次第です。すなわち、規定が(A)電車やバス等通勤手段を基準としていれば、実際の手段が異なれば「支払う必要がなかった」といえます。これに対して、(B)通勤距離等通勤手段以外を基準としていれば、通勤手段を問わず「支払う必要があった」ことになります。
E社の規定は、(A)(B)どちらともとれる曖昧な文言ではありますが、公共交通機関の利用のみ支払う旨限定しておらず、公共交通機関以外の手段を利用しても一律公共交通機関を利用した金額をもって基準とする趣旨として、最寄りの交通機関から会社までの距離を基準にしている(B)にあたると思われます。
したがって、距離を正しく申告しているK社員に対しては支払う必要がなかったとはいえず、精算はできません。
一方、U社員の場合は、距離自体を不正確に申告しているため、距離の短いアパートから通っている分については厳密には「支払う必要がなかった」と解釈され、過払い請求が可能です。
以上をフローチャートにしてみると、このようになります。

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【法的問題点その2】(過払い請求の方法)
U社員への過払い請求として、お金で払ってもらう方法もありますが、会社にとっては、今後の給料から過払い分を差し引いて(相殺)、その残額を支払うという方法が一番確実かつ簡単でしょう。
この相殺については、前貸し債権との相殺禁止(労働基準法第17条)と賃金全額払いの原則(同法第24条)に反しないのか、が問題となりますが、判例でも社員の生活に支障を来さない程度の相殺は認められています(最高裁第1小昭和44年12月18日判決、大阪地裁平成12年8月25日判決)。
過去何年分まで遡って請求できるのかについては、賃金ではなく,不当利得返還請求権なので、過去10年分まで遡った過払い分総額の返還を請求できますが(民法第167条1項)、最近の過払い分を除いては相殺による処理は認められません。
なお、U社員と争って裁判になった場合には、会社側で「電車通勤ではなく○月○日は徒歩で通勤していたこと」「○日間は家からではなくアパートから通勤していたこと」等を立証しなければなりませんので、ご注意下さい。

【法的問題点その3】(過払い請求の是非)
T社長は特段請求したくないのが本音のようですが、果たして請求しなければならないのでしょうか。
民間の営利法人では、代表取締役が会社の業務執行にあたり広い裁量権を持っていますので、会社に多く損害を与えることが明らかな場合でない限り、請求しなくても構いません。
前述したように、裁判沙汰となれば立証の問題、弁護士費用の問題等が発生しますので、費用対効果の面からも、敢えて請求しなくていい場合がほとんどです。
もっとも、T社長は、過去の通勤手当について精算することは、裁判上難しいので請求しないことをS社員達に説明した方が無難でしょう。

【法的問題点その4】(うっかりか、意図的か、の相違点)
本件とは離れますが、心情としてうっかりミスなら許すけれども意図的なら許せないという場合もあると思いますので、この違いについてご説明しましょう。
過払い請求は、社員のうっかりミスか意図的策略かを問わずどちらでも可能ですが、意図的な場合のみ請求するとして取扱いに差異をもうけることもできます。さらに、意図的な場合、就業規則の内容如何では意図的な虚偽申告として懲戒事由にあたり、解雇、減給等の処分、詐欺罪の刑事告訴も可能と思われます。
雇用関係においては、労働基準法その他の法律によって雇用者の義務が非常に多岐にわたり定められていますので、社員との紛争予防対策の一環として、社会保険労務士など労働関係の専門家に日頃からアドバイスを受けられる環境づくりが必要でしょう。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:横山 誠二)

昇給の時期や、賃金制度を改定しようとするとき、また新規創業された会社から「基本給はいくらにしたらよいでしょう? 通勤手当や住宅手当はいくらに…?」などの質問を受けることがあります。
本件の通勤手当も賃金の一部であります。まず、賃金と通勤について労働関係法ではどのような関係法規があるか検証してみましょう。
労働基準法には、第11条で「賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。」との規定があります。賃金の中身について、通勤手当や住宅手当などを支給しなければならないと規定されているわけではありません。それぞれの会社において、賃金規程に支給基準を定めていればよいことになります。
次に、通勤という行為について考えてみましょう。労働者災害補償保険法第7条第2項において「通勤とは、労働者が、就業に関し、住居と就業の場所との間を、合理的な経路及び方法により往復することをいい、業務の性質を有するものを除くものとする。」とされています。
さて、この住居の表現には、住所地と居所の2とおりが考えられます。住所といえば、通常、住民票のある生活本拠でありましょうし、居所とは一時的に住んでいる場所を示しています。例えば単身赴任地や、仮住まいがこれにあたります。
また、交通手段がスピードアップ化され、長距離でも通勤可能なエリアが広がっています。例えば、新幹線で通勤すれば、2時間の圏内はどうでしょう? ちなみに2時間というのはハローワークで通勤可能な時間とされています。E社のように「公共交通機関の定期代相当分を支払う。」という規定によれば、通勤手当はきっと十数万円にも及ぶことになりかねません。このように通勤そのものの概念が変わってきていることも考慮に入れておかなければなりません。
E社の規定では、前述のようなトラブルが起こりかねません。なぜなら先ほど示したように個々の交通手段や通勤距離についてまったく考慮されていないからです。
それでは、E社の問題解決に向けて、まず問題点を整理して、解決策を探ってみます。

問題1 賃金規程の通勤手当支給基準をどのように規定するか
問題2 過去に遡及して差額徴収や追給をすべきなのかどうか、また、これに関連して、追給、返還はどのくらいの期間についてできるのか
問題3 新規程を適用した場合、減額になる社員への対応はどうするのか
問題4 退職時に精算するとしたとき何か問題があるか
問題5 有給休暇中や休業中の通勤手当の支給はどうするのか

等々が考えられることでしょう。

【問題1について】
通勤手当は税法上、非課税の範囲が定められており、多くの企業では非課税の範囲で通勤手当を支給していると思います。詳細は税理士の助言でご確認ください。また、非課税にとらわれず独自に手当を決めるとすれば、少なくとも、交通機関によるものと、自転車、自動車などを利用する場合とに区分けして、つぎのような規定にされたらよいでしょう。
(通勤手当)
第○条 通勤手当は自宅と会社との間の片道の距離により、別表(注1)のとおり支給する。ただし、特別の事情により、恒常的に他の場所から通勤する場合は、通勤場所変更届を総務部長宛提出し、許可を受けなければならない。
2  公共交通機関による通勤手当は、合理的で、経済的な手段による交通費によるものとする。

(注1) 別表は税理士の非課税通勤手当額を参照してください。この金額以上の場合、課税扱いになりますが、金額を随意決めることは可能です。
(注2) 通勤手当は、税法上では非課税ですが、社会保険の報酬額には含めます。また、時間外手当の算出からは除外されます。

【問題2について】
新しく規程を定めることは一歩前進です。ただし、この適用を過去に遡及して適用するのか、するとすればどこまで遡及するのか、新たな問題が発生します。
通常、この種の規程は附則によって適用日を示しますので、過去に遡及することはありません。しかし、支給漏れが発見され、本来支給を受けるべき金額よりも少なく支給されていた場合、またその逆で多く支給し過ぎていた場合はどうでしょう。
労働基準法第115条は、「この法律の規定による賃金(退職金は除く。)、災害補償その他の請求権は二年間、この法律による退職手当の請求権は五年間行わない場合においては時効によって消滅する。」とされています。
つまり、通勤手当に不足額があった場合、労働者側から請求できるのは過去2年分、一方、通勤手当に過払いがあった場合は、弁護士の説明の通り民事を適用し、会社は過去10年まで遡及請求できることになります。
ただし、追給、返還にしても、既に年末調整も終わっており、税務関係まで影響してくることを考えれば、型にはまった手続きよりも現実的な対応を勧めたいと思います。つまり、返還は求めず、追給については、前月分のみとすることで合意を求めてみてはいかがでしょう。もちろん、お互いの合意によって、一定期間遡及して取り扱うことは可能です。仮に、返還を求めるケースで、給与から控除するときには、所得税、住民是、社会保険料等以外の控除については、賃金控除協定が前提となりますので注意が必要です。

【問題3について】
新規程により、従来支給を受けていた金額より減額になる場合も想定されますので、その附則で、適用日を3カ月ないし6カ月先として、周知期間を設けることをお勧めします。

【問題4について】
初めに述べたように通勤手当を支給する旨の規定があれば、当然賃金の一部でありますので、労基法第24条でいわゆる賃金支払の5原則を定めており、(1)毎月1回以上 (2)一定の期日に (3)通貨で (4)その全額を (5)直接 労働者に支払うことが定められています。このことから、その月の賃金はその月に精算されるべきであり、退職時に精算することは許されません。

【問題5について】
有給休暇中や傷病休業中には、通勤行為を伴わないため、その部分を日割りカットしてもよいのではないか、という意見があります。
確かに通勤手当は実費弁償的な賃金でありますので、このような考え方も一理あるといえます。傷病休業の場合は、賃金規程に欠勤(遅刻・早退の時間を含み)控除するとの定めがあればそれに従うことになります。一方、有給休暇の場合、労基法第39条で (1)通常の賃金 (2)平均賃金 (3)労使協定により健康保険法による標準報酬日額のいずれかを支払うものとされています。(1)の場合は問題ないと思いますが、(2)もしくは(3)を選択する場合は、その旨賃金規程に盛り込んでおく必要があります。

本件トラブルの原因は、なんと言っても通勤手当の支給根拠があいまいで、どのようにでも解釈ができ、社員間に不公平感、不満が蔓延していたことにつきます。
また、時間のとれる人は食事に誘われるなど、取れなかった人との偏りも見られ、これもまた不満要因になっていた可能性があります。
これまでの社長の認識が間違っていたことをきちんと謝罪し、新規程を作成することによって、通勤手当が合理的な支給根拠となるよう改定されることを社員に伝えることが第一でしょう。また、不合理なことに気付いたら、遠慮なく社長に上申することなど、社員の不平、不満要因を極力除去すべく社員と協調していく姿勢を示すことによって事態収拾が図られるものと思います。風通しのいい社内風土作りを目指しましょう。

税理士からのアドバイス(執筆:池田 剛)

通勤手当に関する税務上の留意点についてご説明します。
まず、通勤手当を法人が個人に支給している場合は、その支給額は損金算入されるので、法人税においては特に留意する点はないと思われます。
次に、通勤手当が支給されている個人については、下記の限度額までは非課税ですが、これを超えると給与所得として課税され、会社はその超えた分については、他の給与と同様に所得税を源泉徴収する必要が出てきます。
(1カ月当たりの非課税限度額)
(1)交通機関を利用する場合:その交通機関の合理的な運賃等の額(限度額10万円)
(2)自転車・自動車等の交通用具を利用する場合

片道 2?未満 全額課税
片道 2?以上10?未満 4、100円まで
片道10?以上15?未満 6、500円まで
片道15?以上25?未満 11、300円まで
片道25?以上35?未満 16、100円まで
片道35?以上45?未満 20、900円まで
片道45?以上 24、500円まで

※ただし、片道15?以上で交通用具を使用している人が、もし交通機関を利用したとした場合に負担することとなる合理的な運賃等が上記にそれぞれに掲げる金額を超える場合はその運賃等の額とします(限度額10万円)。
(3)交通機関と交通用具とを両方利用する場合:(1)+(2)の合計額(限度額10万円)

【消費税の取り扱い】
通勤手当は、通勤費の実費弁償的なものと考えることができるので、課税仕入れとして、仕入れ税額控除が認められています。

【給与所得者の特定支出控除】
給与所得者について、通勤のための支出を含め、次のような特支出の額が給与所得控除額を超える場合には、所定の申告よりその超える部分が控除されます(会社より補てんされる一定の部分は除く)。

(1) 通勤のための支出
(2) 転勤に伴う転居のための支出(旅費・宿泊費・荷物の運賃)
(3) 職務上直接必要な研修のための支出
(4) 職務遂行に直接必要な資格取得のための支出(弁護士等の特定の資格は除く)
(5) 配偶者と別居を伴う単身赴任者の勤務地と自宅の間の往復旅費のための支出(1カ月につき4往復まで)

万が一、E社が上記の源泉所得税の取り扱いの非課税限度額を超えて支給しているにもかかわらず、源泉徴収を実施していない時は、これに関して修正する必要がある場合も考えられます。
特に、税務調査等において指摘されると、数年遡って修正しなければならない場合も考えられるので、早急に是正することが重要でしょう。
なお、会社によっては、最近流行のITを駆使して、居住先より勤務先までの通勤距離を正確に計測して、公平を図ろうと取り組んでいるところもあります。また、居住先や通勤手段の変更等が生じた場合は、迅速に会社に届け出るようにルールを明確にすることが、税務上の課税の公平を図る上でも大事であると考えます。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRアップ21鹿児島 会長 保崎 賢  /  本文執筆者 弁護士 黒沢 佐和美、社会保険労務士 横山 誠二、税理士 池田 剛



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