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第60回(平成19年2月号)

「早く健康診断結果を提出しなさい!」
個人情報保護との関係は…?!

SRアップ21東京(会長:朝比奈 広志)

相談内容

Y社では毎年6月に定期健康診断を実施します。35歳以上は生活習慣病予防健診、35歳以下は近くの診療所での実施です。去年までは健診結果が会社に送られてきたのですが、今年からは“健康診断の結果は個人情報のため会社には郵送できません”とあらかじめ病院側から通知がありました。
「国勢調査も大変だったが、何もかも個人情報を盾にとられるとやりにくいねぇ」とA社長は笑っています。しかし、勤続15年の総務部長は笑っていられませんでした。というのも、若い女性社員たちが「個人情報だから会社に渡すのはおかしいわよね。渡したって去年と今年の体重だけ見て笑われるのがオチよ…」と完全に健診結果の提出について反発しているからです。
「会社には健康診断の実施義務があり、その結果を踏まえて業務上の配慮をしなければならないんだ!法律で決まっているのだから提出しなさい」と総務部長が言えばいうほど、「もしかしてセクハラっぽくない…」と言われる始末です。女性社員たちにそれほどの悪意があるわけではありませんが、一人が出さなければ全員出さないという、小規模事業所特有の現象に陥っているのです。
A社長が見かねて、「いいかげんに協力しなさい」と言っても、「この会社が個人情報を適切に管理できるのかどうか…少し心配なんです」と涙目で言われると、どうしようもありませんでした。ほどなく仕事から戻ってきた営業部長が事の経緯を知ると、烈火のごとく怒り始めました。「健診結果を出さないなんて懲戒だ!社員としてあるまじき行為だ!」とやってしまったものですから、大騒ぎになってしまいました。あわてて社長と総務部長が止めましたが、4名の女性社員たちは次の日から姿を見せなくなりました。

相談事業所 Y社の概要

創業
昭和58年

社員数
12名(パートタイマー 3名)

業種
保険代理店

経営者像

大手保険会社を40歳で退職し約22年、自らの人脈でまずまずの保険代理店を経営してきました。最近は若い社員も増え、狭い事務所ですが、アットホーム的な雰囲気を楽しんでいるようなA社長です。


トラブル発生の背景

診療機関によっても対応が異なる健康診断結果の取り扱いをどのようにしたらよいのでしょうか。
規模の大小はあっても健康診断の実施は事業主の義務です。事前の対策、特にアットホーム的なY社の普段からの個人情報管理が問題だったのかもしれません。

経営者の反応

3日後4名の女性社員の連署で内容証明が届きました。その中身は(1)職場には怖くて戻れないので私物を郵送して欲しいこと、(2)即時解雇なので1ヶ月分の賃金を支払って欲しいこと、(3)慰謝料として一人20万円の要求をすること、A社長が目をむくような3つの要求がありました。「いい子たちだったのに…すべては病院が悪いのだ…そして営業部長と…」と社長が嘆いていると、「社長しっかりしてくださいよ。正しいのは営業部長ですよ。営業部長に辞められてはかないません」と総務部長が泣きつきます。「このままではY社がだめになる。早くなんとかしないとまずい…」総務部長は女性社員たちへの対応とY社の立て直しに向けて、力強い相談相手が必要だと痛感し、急いでホームページを検索し始めました。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:松崎 龍一)

本件における女性社員からの申し出に正当性はありません。
まず、本件の発端となった健康診断結果を女性社員が提出しなかったことについて、労働安全衛生法は事業者に対し、労働者に対する健康診断を行うことを義務付け(労働安全衛生法第66条1項)、労働者に対しても事業者の行う健康診断を受けなければならない、としています(同法66条5項)。そして、労働者は、同法第66条1項によって、事業者が指定した医師による健康診断を受診することを希望しない場合には、他の医師による健康診断を受け、その結果を証明する書面を事業者に提出することによって代えることができる、としています(同法66条5項但書)。
労働安全衛生法第66条の目的は、健康診断の結果、問題があると分かった社員につき、医師から意見を聴取し、場合によっては配置の転換や労働時間の短縮等の措置を講じることによって、労働環境の安全を確保することなのです。(同法第66条の4、5等参照)。判例にも、公立学校の教員に対し、結核予防法によるエックス線検査について、結核予防法7条1項のみならず労働安全衛生法第66条5項に基づく受診義務を認め、学校長がその受診を職務上の命令をして命じうると判断したものがあります(最判平成13年4月26日)。この判例からしても、本件において、A社長や総務部長が健康診断結果を提出するように言ったことは適法な職務上の命令ということができます。したがって、女性社員の健康診断結果を提出したくない、という言い分に正当性はありません。

次に、女性社員の内容証明による申し出についてですが、まず本件において女性社員は解雇されたのでしょうか。営業部長は単に「懲戒だ」と言ったのみであって、一言も解雇などとは言っていません。また、営業部長が労働者の解雇を決定する権限を有しているとは考えられません。解雇は事業者による雇用契約の解除であるので、事業者が労働者を解雇するに当たっては、当然解雇の意思表示が必要となります。したがって、本件においては女性社員に対するY社の解雇の意思表示があったと認めることはできず、Y社が女性社員を解雇していない以上、Y社と女性社員との間には雇用契約がいまだに存続していることになります。

以上を前提として女性社員の申し出について、その他の要求を検討してみます。
(1)私物を郵送して欲しい、という申し出については、Y社と女性社員との間にはまだ雇用関係が存続している以上、女性社員は現在においてもY社に対する労働義務を負っています。とすれば、女性社員は職場であるY社に出社しなければならず、「職場には怖くて戻れない」などという申し出に正当性はありません。したがって、Y社は私物を女性社員に郵送する必要などありません。次に(2)1か月分の賃金を支払って欲しい、との申し出についてですが、雇用関係が存続している以上、女性社員が出社しなくなったことは、女性社員の無断欠勤ということになります。したがって、Y社としては、女性社員が出勤した期間に応じた賃金を支払えばよく、1か月分の賃金満額を支払う必要はありません。最後に(3)慰謝料についてです。もし、Y社が女性社員を不当解雇したと認められれば、慰謝料を支払う必要があるでしょう。しかし先ほど述べたとおり、Y社は女性社員を解雇などしていません。とすれば、不当解雇になるはずがありません。したがって、Y社は慰謝料を支払う必要などないのです。

【参考】
労働者が事業者により解雇されたと主張し、事業者に対して解雇予告手当及び不当解雇による損害賠償を請求した事案において、労働者は入社手続に必要な関係書類を早く持ってくるよう督促され、また勤務時の服装につき注意されただけであること、その督促や注意をした者の地位からしてその者が解雇を通知したと考えることは不自然であるという事情から、事業者側からの解雇の意思表示があったとは認められず、労働者は解雇されていないと認定し、そうである以上不当解雇であるなどと考えることはできず、解雇予告手当の請求・不当解雇による損害賠償請求には理由がないとした裁判例があります(東京地裁平成17年10月19日)。
慰謝料については、この裁判例と同様に判断できると考えられます。
今後、Y社が本件のような問題を起こさないためには、個人情報の取扱いに関する環境を整備する必要があります。たしかに、先ほど述べたとおり、労働者は健康診断の受診義務を負っています。しかし、この受診義務違反について、法律は罰則を設けていません。とすれば、診療機関によって対応の異なる健康診断結果について事業者は、労働者に対しあくまでも任意に結果を提出するよう求めなければなりません。そして、労働者がY社の個人情報の取扱いについて不信感があれば、他の会社であれば容易に提出してもらえる物も提出してもらえなくなってしまいます。その上、健康診断結果は、それにより遺伝病や慢性的な感染症の存在が明らかになるおそれがあり、数多くある個人情報の中でも極めて保護の必要性が高いことは間違いありません。(1)収集した個人情報の利用目的を制限する、(2)個人情報の処理を行う社員の範囲を制限する、(3)個人情報の処理のあり方について事業者の側で定期的に評価・点検をする、(4)労働者の個人情報について職務上知りえた場合には、その秘密の保持を徹底する、(5)個人情報の処理を通じて、雇用上不当な差別を行わない、(6)健康情報等の特に保護の必要性の高い個人情報については利用目的を特定する・収集や第三者に対して提供するためには本人の同意を必要とする、などといった個人情報の取扱いの方針を定め、個人情報の取扱いについて労働者からの信頼を勝ち得る必要があるでしょう。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:岡 真二)

社員が自らの個人情報を会社に提供する時、個人情報が、「適切に管理されているのか?」、そして、「適正な目的のために利用されているのか?」の二点がはっきりしなければ、その提供にためらいが出るのは、ある意味、当然といえます。
本件のように、自らの個人情報、しかも、健康診断結果という“センシティブ”な個人情報の提供に伴う社員の不安感を取り除くためには、場当たり的な対応ではなく、個人情報に関する会社の人事労務管理制度の改善を柱として、抜本的な対応策を検討することが重要です。

【個人情報の適切な管理に関する対応策】
一般に、民間企業における個人情報の適切な管理を考える場合、以下の2種類に分類することになります。
1.雇用個人情報管理:社員の(雇用管理に関する)個人情報の取り扱い
2.業務個人情報管理:会社のお客さま等の(業務上における)個人情報の取り扱い
まず、雇用個人情報管理に関しては、平成16年7月1日付の厚生労働省「雇用管理に関する個人情報の適正な取り扱いを確保するために事業者が講ずべき措置に関する指針」に沿って検討する必要があります。雇用管理に関する個人情報とは、会社が社員等の雇用管理のために収集、保管、利用等する個人情報を指し、入社時の履歴書に記載してある、名前、住所、性別、生年月日、連絡先や、入社後の職位や人事考課情報(社員を特定できるもの)、被扶養者の個人情報等を含み、健康診断結果もその中に含まれます。

Y社においては、例えば、総務部長を、雇用管理に関する個人データ管理責任者として選任し、また、個人データ管理責任者の元で雇用管理に関する個人データを取り扱う社員を特定し、その責任の重要性を認識させ、具体的な個人データの保護措置に必要な教育及び研修を行えばどうでしょうか。
他の社員からすれば、個人情報を取り扱う担当者が特定されており、その担当者が個人情報取り扱いの教育を受けていることは、個人情報提供に際して、不安感の軽減につながります。また、会社が保持する自らの個人情報に誤りがあると感じられた場合の開示要請先や苦情の相手先が、はっきりすることにもなります。
次に、業務個人情報管理に関してですが、会社がお客様の個人情報を大切に扱う体制を保持しているということが、雇用に関する個人情報の扱いに対して、社員から信頼感を得ることにもつながります。
もちろん、コンプライアンスの観点からも、会社が、お客様の個人情報に関する適切な取り扱いのために必要な教育・研修を行い、サーバーのアクセス制限、パスワード・IDの設定、ログ記録の管理、入退場記録等のハード的・ITシステム的な対策を行うのは当然です。

【個人情報の適正な目的のための利用に関する対応策】
自らの個人情報が適切に管理されていることを確認した上で、その個人情報が、「適正な目的のために利用されている」ことを知ることは、社員が、会社に、個人情報の提供を行う上で重要な要素となります。
本件では、どのような形で、定期健康診断の結果というセンシティブな個人情報を会社が利用することが望ましいのでしょうか。
労働安全衛生法第66条において、定期一般健康診断(会社が社員に1年に1回以上実施することが義務付けられている健康診断)とその結果に対する会社の事後措置のフローは、以下の通りとされています。

【定期健康診断と会社の事後措置の概要】
(1)定期一般健康診断の実施
(2)健康診断結果の受領
(3)健康診断結果の労働者への通知
(4)医師等からの意見聴取
(5)就業上の措置の決定等
※ 就業上の措置とは、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、時間外労働の制限、深夜労働の制限等を指します。

会社は、「健康診断結果を受領すること」が、社員の健康保持増進に欠かせない重要なステップの一つであることを、社員にわかりやすく説明し理解してもらう必要があります。
平成16年12月24日付の厚生労働省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取り扱いのためのガイドライン」の中では、「医療機関等が、労働安全衛生法第66条、健康保険法第150条、国民健康保険法第82条又は老人保健法第20条により、事業者、保険者又は市町村が行う健康診断等を受託した場合、その結果である労働者等の個人データを委託元である当該事業者、保険者又は市町村に対して提供することについて、本人の同意が得られていると考える。」とされています。そこで、会社としては、上記ガイドラインを引用し、定期健康診断を実施した医療機関に対して、診断結果の通知を求めることもできます。
一方、社員が、自らの健康診断結果を会社に知らせることの重要性をしっかりと理解していれば、健康診断結果を医療機関から会社へ提供することに関して、社員から事前に同意書を取る、あるいは、社員本人から診断結果をスムーズに提出させることも可能となるでしょう。
本件が発生する前に、A社長に労使トラブルの危機感を尋ねると「コミュニケーションの問題で、会社内のコミュニケーションがしっかり取れていれば、大丈夫。うちの会社では、そのような問題は起こらない。」と自信満々に答えたことでしょう。
もちろん、何もないときはそれが正論でしょうが、それでは、「どうすれば、会社内のコミュニケーションを維持していくことができるのか?」という問いについては、はっきりとした答えを出せないと思います。
労使の円滑なコミュニケーションの基礎となる、労使相互の「信頼感」・「安心感」を醸成するためには、万が一のトラブル発生の際に、人間関係に頼ったその場限りの思いつきの対応を続けるのではなく、すべての管理職が統一した見解が持てる人事労務管理制度を築いておくこと、そして日々の改善を継続していく姿勢が重要ではないかと思います。

税理士からのアドバイス(執筆:浅田 徳英)

所得税ではそのサービスの性質や提供目的等を考慮して利用者が受ける利益が著しく多額な場合や、役員だけを対象としてサービスを提供する場合を除いて、課税しないこととして扱われています。
会社が実施する役員や使用人の定期健診の際に、人間ドックを利用した場合でも、原則として「福利厚生費」としてその費用は取り扱われます。
ただし、次の条件を満たしていないと、本人の給与として課税されることがありますので注意してください。
(1)特定の者、特に役員だけを対象にしたものでないこと。
(2)定期健診や人間ドックの内容が通常必要なものと認められる範囲であること。
(3)実際の費用は会社から直接支払われるものであること。
(3)については、業務上やむを得ず指定健診日に受診できなかった使用人に対して、健診費用を現金支給して後日受診させた場合は、結果として現金支給となり、課税されることになりますので特にご注意ください。
(所得税基本通達36?29 課税しない経済的利益・・・用役の提供等)

なお、前(1)?(3)の条件にあてはまらなかった場合は、役員と使用人とそれぞれ次の様になります。
(1)役員の給与とされた場合
役員に給与所得として課税されると同時に、会社の法人税の計算上も役員に対する臨時的な給与すなわち「賞与」として損金不算入になります。
(法人税基本通達9?(2)?16 経済的な利益についての報酬と賞与との区分)
(2)使用人の給与とされた場合
給与所得として課税されます。あくまでも使用人に対する「給与」なので損金には 算入されます。

 

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【実際にかかる費用の取り扱い】
実際に定期健診を行なう上では、当の健診費用と検査機関までの交通費、また再検査が必要な場合の費用の問題があります。
前述の様に会社が条件通り支払い、交通費も健診費用も通常程度の負担の場合は、会社の費用としても問題はないと思われます。
ただし、時には当の本人が支払わなければならない費用もあります。
例えば、喫煙に対する社会的な環境は厳しくなっていますが、ニコチン依存症の患者に対する禁煙治療が公的医療保険の適用になり、禁断症状を緩和する薬品が「医薬品」として認められています。しかし、会社として定期健診の結果、こうした一部のヘビースモーカーのために、何らかの負担をするということについては、社内に異論があって然るべきで、このような禁煙治療については本人負担になることが十分考えられます。
Y社の場合は、定期健康診断の内容が社内でルール化され、社員全員が受診対象になっていることから、その全額を会社の費用として計上することについて問題はありません。
また、役員だけの特別扱いもないので役員賞与として認定されることもないでしょう。
〔法人税関係〕Y社が負担する人間ドックの健診費用は、福利厚生費として取り扱われます。なお、役員のみを対象とする人間ドックの健診費用は、臨時の費用として役員賞与に該当し、損金不算入として取り扱われます。(法基通9?2?10(10)、9?2?16)
〔消費税関係〕健康診断は、非課税とされる医療には該当しませんので、その健診費用は課税仕入れに該当します。(消基通6?6?1)なお、役員のみを対象とする人間ドックの健診費用は、給与として所得税の課税対象となりますので、課税仕入れには該当しません。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRアップ21東京 会長 朝比奈 広志  /  本文執筆者 弁護士 松崎 龍一、社会保険労務士 岡 真二、税理士 浅田 徳英



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