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第32回 (平成16年10月号)

“労災隠し?”
今になって「労災」と言われても…!

SRアップ21沖縄(会長:上原 豊充)

相談内容

「E社長!社員のS君が現場でけがをしました…」と事務所に電話連絡がはいりました。いろいろとやりとりをしているうち、幸いなことに、たいしたけがではなさそうです。右目に鉄粉が入ったようすで、眼科で洗浄すれば大丈夫とのことでした。事務所で総務経理を担当しているE社長の奥様が「労災にすることもないわね」というと、E社長も「そうだな…」と相槌をうちました。
S君が事務所に戻ってくると「ご迷惑をおかけしました。自分の不注意ですから…、そうだ、病院から労災5号様式をもってくるように言われたのですが、面倒だから現金で払ってきました…もう通院することもないでしょうし…」と報告します。E社長は「そうか、気が利くやつだな、すぐに治療費を支払うから領収書を出しなさい」とわが意を得たり、という感じです。
その後の数ヶ月はなんともなかったのですが、ある日「どうも右目が見えづらいので病院にいってきます」とS社員から遅刻の連絡がありました。
なんと、数ヶ月前の事故の際の鉄粉がまだ右目に残っていて、それが原因で大変なことになっていたのです。場合によっては失明するかもしれない、ということを聞いたE社長はびっくりしました。そして、「治療費や給与の保証は会社で面倒みてくれるのですよね…」とS君に言われ、「考えておく」というのが精一杯でした。
「最初から労災にしておけばよかったな…、今からだと監督署にも怒られるだろうし…もしも失明したらどうなるのだろう…」

相談事業所 R社の概要

創業
平成元年

社員数
社員数 9名(パートタイマー1名)

業種
設計事務所

経営者像

大手建設会社を退職したE社長が設計事務所を開設して16年になります。比較的順調な経営状態で、社員も開業当初から徐々に増え、現在では総勢10名の設計事務所となりました。
E社長は56歳、まだまだ衰えをしらないエネルギッシュで人情にもろい職人タイプの人柄です。


トラブル発生の背景

現場での事実関係、負傷状況等を十分に把握せず、安易な事務処理を行ってしまったことが、後々大きな事件に発展してしまいました。悪質で意図的な労災隠し、というつもりではなかったのですが、E社長の“使用者責任”に対する認識はかなり甘かったようです。
また、S君に対する対応が即座に考えつかなかったことも、S君を苛立たせた一因かもしれません。

経営者の反応

S君からは、手術代、入院代、タクシー代などの請求が矢継ぎ早に行われています。
また、S君の奥さんからも見舞金などを要求するような電話がかかるようになってきました。「いったい、どこまで責任があるのだ?渡し切りの金なのか?立て替え金になるのか?後で損害賠償を請求されたら相殺されるのか?いずれにしても、このままではまずい…」と思ったE社長は必死で相談先を探し、SRネットにたどり着きました。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス
  • ファイナンシャルプランナーからのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:宮崎 政久)

【R社の責任は安全配慮義務違反】
従業員のE君が現場での作業中に,右目に鉄粉が入ったことでけがをしたということですね。
R社はE君と雇用契約を締結する使用者の立場にありますが,使用者は,支配管理下にある労働者の安全と健康に配慮しなければならない「安全配慮義務」を負っています。最高裁判所の判例でも「雇用契約は,労働者の労務提供と使用者の報酬支払をその基本内容とする双務有償契約であるが,通常の場合,労働者は,指定した場所に配置され,使用者の供給する施設,器具等を用いて労務の提供を行うものであるから,使用者は右の報酬支払義務にとどまらず,労働者が労務提供のため設置する場所,設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において,労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っている」(最高裁昭和59年4月10日判決)としています。 つまり,安全配慮義務とは,労働契約関係に付随して,使用者が労働者に対して信義則上負う法律上の義務(債務)です。したがって,使用者がこの義務を怠ると労働契約上の債務不履行となり,民法415条の規定に基づき,使用者は労働者に対して損害賠償をしなければならないこととなります。

本件では,現場で右目に鉄粉が入ったというのですから,少なくともE君が目を保護するようなゴーグルをしていなかったことは明らかです。R社が労働者であるE君が作業にあたり,目を怪我することのないよう必要な器具等を提供し,もしくは具体的に指示をして危険を回避する措置を十分にとっていなかったものとして,安全配慮義務を尽くしていなかったと言われる可能性は大きいでしょう。そうなると,R社には労働契約上の債務不履行責任として損害賠償義務が発生することになります。

【責任の範囲は相当因果関係】
使用者に安全配慮義務違反が認められる場合,労働者に発生したどんな損害でもすべて使用者が賠償しなければならないわけではありません。
ある損害について,債務不履行との間に条件的な因果関係(「あれなければこれなし」という意味での単純な因果関係)がある場合に,すべてを賠償の対象とすると,非常識なまでに賠償の範囲が広がってしまうことになります。まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じです。そこで,因果関係の及ぶ範囲を,公平の観点から法的に制限し,相当な範囲に制限することとされており,民法416条でも「通常生ずべき損害」が賠償の対象になると規律しています。

本件では,鉄粉が入ったことで目に障害が残ることは通常あり得ることといえますから,原則として,R社の賠償範囲に入っていると考えるべきでしょう。
しかしながら,E君は事故直後に眼科医の診察を受け,目の洗浄治療が行われているようです。仮に,医師の診断ミス,洗浄が不十分であった,継続的に治療のため来院するよう患者(E君)に指示をしなかった等の医療ミスが原因で,本来であれば事故後の治療で容易に完治したにもかかわらず,失明の危険が発生したという例外的な場合であれば,R社は因果関係が断絶したものとして賠償責任を負わないことになります。

【過失相殺】
前記のような例外的な場合ではないとしても,失明の危険まで生じたのは,事故直後に十分な治療を受けず,大丈夫と思って放置したE君にも原因がありそうです。責任の公平な分担という観点からすると,労働者の側に何らかの責められるべき事情がある場合には,損害賠償額を算定するにあたって、その事情を斟酌して算定が行われます。これを過失相殺といいます。
具体的には,労働者が法令や職場での服務規定などで着用を義務づけられているヘルメット,命綱,マスクなどの保護具の着用を怠っていた場合などでは,6割から3割程度の過失相殺を認めている判例もあります。また,このような過失割合を考える場合,労働者に保護具等着用義務違反が認められても,これが職業経験の浅い労働者で十分な安全教育を受けていないような場合には,労働者側の過失を過大に評価するべきではないとして,通常なら3割程度であるべきところを1割の過失と判断した判例もあります(長野地裁上田支部昭和61年3月7日判決)。

本件でも,E君が会社の指示に従わずにゴーグル等保護具を装着していなかったとの事故時の事情や,事故後適切に治療を受けなかったことが失明の危険を招いた等の事情があれば,過失相殺により,R社の賠償すべき損害額は減額されることとなります。 法的なご説明は以上にして、労災保険の事務処理等具体的な善後策は社会保険労務士に任せます。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:上原 豊充)

労働基準法(以下、「労基法」)の第75条に「使用者は、労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかった場合には治療費や休業補償、遺族補償などの必要な補償を行わなければならない(略)」と定められており、同法で決められた額の全額を負担(補償)しなければなりません。しかし、使用者に災害補償責任を義務付けていても、使用者に補償能力がない場合、被災労働者は補償を受けることができなくなることがあります。このような事態を避け、確実に補償を受けられるようにしたのが労災保険(正式には労働者災害補償保険法という。使用者に補償責任を義務付けていることから、保険料は全額使用者負担となっています。)です。
なお、業務災害が発生した場合、使用者は、労働安全衛生法の定めにより、労災保険の給付申請の有無にかかわらず、労働基準監督署長へ「労働者死傷病報告」を提出しなければなりません。これを怠ったり、また虚偽の報告をすると、いわゆる「労災隠し」となり、罰せられる場合があります。
さて、R社のE社長には、使用者としての責任と労災保険について、次のアドバイスを行いました。

1)災害発生時の対応について
事故発生当時に眼科で診察を受けたときは、洗浄すれば大丈夫との診断結果、治療費については全額会社が負担したこと、特に休業もしていないことからすると、労基法上、特に問題はなかったと考えられます。しかし、労働安全衛生法では、事故が発生した時の詳細な状況と原因についての報告が義務付けられており、E社長がS君からの電話による報告のみで安易な処理をしてしまったことは、管理責任を問われる可能性があります。
事故の連絡が入った時点で、発生した時の?発生場所、?どのような作業をしているときに、?どのような物又は環境に、?どのような不安全な又は有害な状態があって、?どのような災害が発生したかについて詳しく確認を行う必要がありました。(休業4日以上の場合は労働者死傷病報告(様式23号)、休業4日未満の場合は労働者死傷病報告(様式24号)を作成し、労働基準監督署長へ提出する。)今後はこのような点にも注意する必要があります。

休業日数 名称 提出期限 罰則
4日以上 労働者死傷病報告書
(23号様式)
業務災害発生後、速やかに 届出を怠った場合及び虚偽の報告をした場合は、 50 万以下の罰金
4日未満 労働者死傷病報告書
(24号様式)
1 ? 3 月・ 4 ? 6 月・ 7 ? 9 月・ 10 ? 12 月の期間ごとにまとめて、それぞれの翌月末日までに提出

 

 

2)数ヶ月経過後の症状悪化に対する対応について
S君からの「治療費や給与の保証は会社が面倒みてくれるのですよね・・」との申し出、およびその後の手術代、入院費等の請求に対しては、まず、労働者死傷病報告(23号)の提出を行うことと、治療費等については療養補償給付(5号様式)、給与の保障については休業補償給付(様式8号)の請求・申請を行うことを説明しました。労働基準監督署に対する言い訳や理由書等の提出はある程度覚悟のうえ、きちんとした処理を行うことが肝心です。この期に及んで、まだ内部処理をするつもりもないでしょうからE社長も十分に理解されたようです。
万が一、右目が失明した場合は、障害補償年金(10号様式)の請求・申請を行うことになりますが、まずはS君の療養が快方に向かうことを祈るばかりです。
また、E社の就業規則には各種見舞金が規定されていましたので、この規定の範囲内で見舞金の支給を行うようにしました。

3)今後の会社の管理体制について
E社の今後の対策としては、労働災害の未然防止と災害が発生した場合の対処方法に関する規定の整備、労災保険の事務手続きに関する手順等のマニュアル化を行うことが重要であることを説明し、また早急に取り組むように適切なフォローを実施することとしました。

税理士からのアドバイス(執筆:友利 博明)

本件は、税務(法人税、所得税、消費税)上、会社と社員それぞれの立場で留意しなければならない問題を含んでおります。したがって、それぞれに係る税務上の問題を時系列的に検討してみたいと思います。なお?業務上の事故に基づく傷害であること、?本人の故意又は重大な過失が無いことを前提としてご説明します。
社員が業務上負傷した場合の治療費は会社の負担とする事が労基法上求められていることから、当初軽微な事故と判断し、領収書に基づいて治療費(損金)を支払ったことについては、税務上の問題はありません。
     福利厚生費 / 現金・預金           (仕訳例)

なお、労働者災害補償保険制度への移行手続を前提とすれば、治療費の立替金処理として下記の仕訳を行い、後日保険金入金があったとき立替金を振り替えることになります。
      立替金 / 現金・預金

次に、後日の鉄粉除去手術に伴う入院代、タクシー代等の当面の費用、見舞金、さらに入院・通院等に伴う休職期間中の補償、事故を原因とする視力障害が生じた場合の損害賠償等今後想定される支出については以下のような仕訳になります。

 

(1) 入院代、タクシー代の支払等
福利厚生費 / 現金・預金  (自社処理)
立替金 / 現金・預金    (労災適用)
(2) 見舞金の支給
福利厚生費 / 現金・預金
(3) 給与等の支給
給与 / 現金・預金   (自社基準による支給の場合)
福利厚生費 / 現金・預金 (労基法による休業補償)
※ 労災適用の場合は預り金勘定で処理
(4) 損害賠償金
損害賠償金 / 現金・預金

 

会社が独自の災害補償等のために損害保険契約に基づく保険金の収受がある場合には、受領の時に雑収入で受けることになります。また、消費税との関係では医療費の支払は非課税取引、休職期間中に支給される給与、見舞金や損害賠償金は不課税取引となり仕入税額控除の対象にはなりません。

次に社員に対する経済的利益の原則課税についてご説明します。
所得税法は、各種所得の金額の計算上収入金額に算入する金額として、金銭以外の物、または権利その他経済的な利益をもって収入する場合には、それらの価額を含めるものと規定し(所法36)、雇用関係において支給される場合のそうした経済的利益についても、受ける時の価額でその年分の各種所得の収入金額に含めるものとしています。
具体的には物品や不動産等を無償または低い対価で受ける場合、金銭の無利息貸付等が対象になります(所基通36?15)。また、従業員の大学進学に伴う授業料等の負担、給与源泉所得税額の会社負担、給与の一部を金銭支給に替えて商品で支給することなどもこうした経済的利益に該当し、現物給与として課税の対象とされます。

一方、雇用関係において支給される金銭または経済的利益であっても、出張旅費、通勤手当、その職務の性質上欠くことのできないものとして支給される食料、職務上着用すべき制服、宿舎貸与、居住用住宅資金の無利息又は低金利による借受等については非課税扱いとされます。
本件のように、業務上受けた身体の傷害を原因として会社から支給される見舞金、損害賠償金、損害保険契約に基く保険金の支払は課税所得にはなりません。また、労基法の規定に基づき会社が支払う休業補償、療養補償、傷害補償も課税されません(所令20?二)。ただし、会社独自の基準によって引き続き給与の支給を受ける場合には、給与所得として源泉課税の対象になります。また、過大な見舞金、損害賠償名目の受取も課税の対象になる場合がありますので注意してください。

ファイナンシャルプランナーからのアドバイス(執筆:倉本 昌明)

本来強制加入となっているはずの政府が保険者である労災保険へ加入していない企業は少なからずあるそうです。これは、保険料が払えないからというよりも、「うちの会社では業務災害は生じないだろう。」とか「たとえ生じたとしてもどうにかなるだろう。」というように労働災害を軽視しているのが原因のようです。しかし、労働災害が生じるリスクはどこの企業にも存在しており、実際に生じてしまったときには、それまでの保険料をまとめて負担しなければならなくなったり、事故が生じてから何年もの期間が経過していて、政府労災が適用されない場合には事業主が何千万円もの補償を行わなければならなくなったりするケースも生じています。

R社の場合、幸いにも政府労災には加入していましたので、こうした心配は必要なさそうですが、せっかく加入しているのであれば無駄にすることはありません。手続きが遅くなったことについては監督署に怒られることもあるでしょう。しかし、正直に申し出ることによって一定期間の保険給付をさかのぼって行ってくれますから、被災労働者であるSさんのことを考えると、余計な心配をする前に監督署に出向くことから始めることが先決です。

ただし、この政府労災は被災労働者に対して最低限の保険給付を行うものであり、補償として十分なものであるとは言い切れません。そのため、被災労働者は不足する部分の補償を事業主に対して求めることもあり、これが事業主にとって会社経営上の大きな経済的負担となっているのが現状です。こうした負担を補うために損害保険会社等が取り扱っている商品として「労働災害総合保険」があります。

労働災害総合保険とは、労働災害を被った従業員(またはその遺族)に対して、政府労災の上乗せとして事業主が行うべき補償を肩代わりする保険で、「法定外補償保険」と「使用者賠償責任保険」の2つからなっており、必要に応じていずれか一方のみを契約することもできます。

 

(1)法定外補償保険: 従業員が業務災害により政府労災の対象となる障害を被ったときに、事業主が行うべき上乗せ部分の補償(法定外補償)をカバーする保険です。通勤災害に関する保険は特約として付加することができる商品が多いようです。
(2) 使用者賠償責任保険: 業務災害のため、被災労働者やその家族からの損害賠償請求により事業主が法律上の賠償責任を負ったときに、その損害に対して保険金が支払われる保険です。

 

こうした保険を準備し、福利厚生制度を充実させることによって、優秀な人材の確保にもつながるし、保険料は全額損金算入(個人事業の場合には経費として処理)することもできるので、事業主にとってのメリットも少なくありません。
なお、あくまでも労働災害総合保険は、政府労災の上乗せを行うだけのものであり、これに加入したからと言って、政府労災に加入しなくていいというわけではありません。 いずれにしても、事故が起こってからあわてても手遅れです。

万が一の場合に備えて早めの準備をしておくことが必要不可欠と言えるでしょう。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRアップ21沖縄 会長 上原 豊充  /  本文執筆者 弁護士 宮崎 政久、社会保険労務士 上原 豊充、税理士 友利 博明、FP 倉本 昌明



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