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第173回 (平成28年6月号) SR東京会

「退職日を変更して!」「もう既に退職してるじゃないか…」

SRネット東京(会長:小泉 正典)

C協同組合への相談

入れ替わりの激しい駅前の商店街でも、しっかりと地元に密着し経営を続けているO社。頼まれると気軽にパートとして雇入れ、そのまま居心地のよいO社に居着く(社員となる)ことが多く、これまで特に大きな労務トラブルはありませんでした。

いつものように、社員の1人からママ友であるIさんが就職先を探しているので、雇ってくれないかと頼まれた社長は、Iさんをパートとして雇い入れました。結婚するまで接客業をしていたというIさんは人当たりもよく、お客にも社員にもすぐに馴染み、半年後にはIさんからの申出を受け、社員として雇用することになりました。

ところが、社員となってからのIさんはケアレスミスが多くなり、子どもの病気や学校行事を理由に急な欠勤が増え、社長からみてもとても仕事に熱心に取り組んでいる様子が感じられません。Iさんを紹介した社員とも言い争うことが増え、何度か面談を重ねた結果、退職することになりました。休暇が何日か残っていたので、それを消化し、430日で退職となりました。

ところが、その1ヶ月後にIさんから連絡が入りました。手取りが少ないことに憤慨している様子だったので、社会保険料がかかることなどを説明したところ「429日退職にしてください!」と言われてしまいました。退職手続きも完了し、最後の給与も振り込みが終わった後の退職日の変更はしたことがありません。どんな手続があるか検討もつきません。その日から毎日のようにIさんから退職日変更についての催促があり、社長は電話が鳴るのが怖くなってしまいました。事務局担当者は専門的な相談内容について連携している地元のSRアップ21を紹介することにしました。

相談事業所 組合員企業O社の概要

創業
1976年

社員数
正規 8名 非正規 4名

業種
青果の卸・小売業

経営者像

情に厚い人柄の社長と面倒見のよい奥さんを慕い社員だけでなく、地元住民も集まってくる地元密着型の店舗経営を続けている。そろそろ息子に経営を任せようかと考えています。


トラブル発生の背景

既に退職し手続きも完了した社員からの退職日変更に対応しなければならないのでしょうか。退職日については面談の中で双方納得の上で決めた日にちでした。Iさんは辞めるのだから保険料や所得税はかからないと思っていたようです。ところが最後の給与を確認するとかなり少ない金額で納得がいかないようです。

ポイント

既に退職している社員からの申出にどのように対応したら良いのでしょうか?退職に関する手続きも全て終わっており、最後の給与の支払いも済んでいます。変更することになると、どのような手続きをしなければならないのか?変更を断っても問題がないのか、O社の社長へ良きアドバイスをお願いします。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:市川 和明)

O社は、社員のIさんと何度か面談を重ね、双方納得の上で4月30日をもってIさんは退職することとなり、既に退職手続も完了し、最後の給与も振り込みが終わっているとのことです。したがって、O社とIさんとの雇用契約は、4月30日をもって退職するとの合意が成立し、同日の経過により終了しています。

ところが、Iさんは、辞めるのだから4月分の社会保険料や所得税はかからないと思っていたところ、その分が差し引かれた最後の給与の手取りが少ないことに憤慨して、4月29日への退職日変更の申出をしているようです。

この点、退職の意思表示に要素(意思決定の重要部分)の錯誤(民法95条)があれば、退職の合意があったとしても無効とされます。法的に無効な慣行を有効と誤解して退職願を提出した場合(山一證券事件・名古屋地判昭45.8.26労民集21.4.1205)や解雇理由が存在しないのに退職届けを提出しなければ解雇処分されると誤信して退職合意を承諾した場合(昭和電線電纜事件・横浜地川崎支判平16.5.28労判878.40)などは無効とされています。

本件では、確かに4月29日の退職にすれば4月分の社会保険料を天引きする必要がなくなり、Iさんの手取りが増えると思われます。しかし、源泉徴収は支給額に対して実施するものであって、1日分の給与が減るので、手取りが増えるということはないように思われますし、4月30日から国民健康保険料や国民年金保険料が発生すると思われますので、Iさんが大きく利得するということは考えにくいのではないかと思います。そうすると、Iさんが前記のような勘違いをしていたからといって、意思決定を左右するほどに重要なものとはいえず、退職の合意について要素の錯誤があって無効であると解することは困難と思われます。また、それ以外に、面談の中で脅迫や詐欺があったとも認められませんので、いずれにしても、Iさんからの退職日変更の申出をO社が受けなければならない理由は見当たりません。それ故、Iさんの申出を断っても法的に問題はないと考えられます。

もっとも、O社がIさんの申出を任意に受け入れて、お互いに勘違いして間違えて4月30日を退職日として取り扱ってしまったということで、正しい退職日は4月29日であったとする旨確認合意することは構いません。その場合、1日分多く給与を支給してしまっているので、その分の返還を求めることができます。他方で、4月分の社会保険料の控除分をIさんに返還することになるので、実務上は、対当額で相殺して、差額を精算することになろうかと思います。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:山本 純次)

社会保険料(健康保険・厚生年金保険料)については、給与月額に応じて決定される標準報酬月額に保険料率を乗じた保険料が毎月の給与より控除されます。社員の給与より控除した社会保険料を企業が国に納付するのは翌月末日になるため、通常の給与計算上は入社月の翌月の給与から前月分の社会保険料を控除し、その月の末日に会社負担分とあわせて納付します。

社会保険料は当月の末日に在籍している場合、所属の企業が加入する社会保険制度に関わる保険料が徴収されますので、月末に退職した場合、前月分の社会保険料に加えて、当月分の社会保険料が控除されることになります。入社当月には控除されていないので、この退職時の徴収方法で辻褄は合うのですが、こういった内容を理解されていない社員もいるため、退職月の給与手取りが思ったより少ないとトラブルになることがあります。

今回の事例で社員のIさんが「退職日を29日にしてください!」と言ってきたのは上記の社会保険料の徴収制度を理解したうえで、月末に会社に所属していなければ1ヵ月分の保険料がかからないと知ったため、このような要望を出してきたのではと推測されます。

4月30日の退職日を429日に変更した場合、Iさんの思惑通り1ヵ月分の社会保険料はかかりませんが、退職日が1日早まりますので、当然ながら30日分の1日分の給与を控除できます。また、このIさんには4月分として企業の社会保険料がかからない代わりに4月分として国民年金・国民健康保険に加入しなければなりませんので、1ヵ月分の保険料が別途かかる形になります。ただしご主人の扶養に入る場合はIさんが負担する保険料はかからなくなりますが、次の就職先との雇用期間が空いてしまうことは、雇用保険の各種給付を今後もらう段階で不利になることもあり得ます。

また、そもそもとして労働基準法上の労働契約の解除としては、期間の定めのない雇用契約の場合、社員からの退職の申出があり2週間を経過した段階で雇用契約が終了するとされています(民法6271項)。そしてお互いが合意での退職日の決定の場合、そこで契約が成り立っていますので、この退職日を変える場合はお互いの合意がなくてはなりません。そのため、企業としては勝手な事情で退職日を変えるということに応じる必要はありません。このような事態にならないよう、退職届をとっておくことはもちろん、退職時の誓約書等で退職後も会社が不利になるような行動をとった場合のルールを書面に残しておくことも重要です。

上記のような考えもありますが、事態を穏便に済ませる場合、この要求を受け入れることも検討の余地があると思います。その場合の事務処理としては、年金事務所、ハローワークに退職日の訂正届を出したうえで、給与処理として1ヵ月分の社会保険料を返金しますが、そこから1日分の給与を控除します。また、社会保険料分の控除の影響で所得税額も変わりますので、この調整も必要になります。

こういった対応は手続きの煩雑さもありますし、ご本人としても社会保険料はかからない代わりに、結局、国民年金・国民健康保険料がかかる場合も考えられますので、そのあたりもご説明のうえ対応されるのが望ましいところです。

税理士からのアドバイス(執筆:山田 稔幸)

退職した社員の退職日を変更することによって、給与から控除される社会保険料等の変更があった場合に税務上影響がある事項についてご説明します。

 

1)給与計算の方法

給与計算は、支給額いわゆる額面の金額から、社会保険料(健康保険と厚生年金保険)と雇用保険料を控除した金額(その月の社会保険料等控除後の給与等の金額)を基に扶養親族の数に応じて、源泉徴収をする所得税の額が計算されます。

従って、給与から控除される社会保険料に変更があった場合には、所得税の額に変更が発生する可能性があります。

また、退職に伴って発行する源泉徴収票にその年に控除した社会保険料の金額を記載する必要がありますので、その部分の記載金額も変更する必要があります。

なお、源泉徴収をした所得税は、納期の特例の承認を受けていない場合には、給与を支払った月の翌月10日までに納付します。納期の特例の承認を受けている場合には、1月から6月までの分は710日、7月から12月までの分は翌年の120日までに半年分をまとめて納付することができます。

 

2)住民税の納付

給与所得者は原則として毎月の給与から住民税が天引きされます。所得税と同様、本来は社員が自分で手続きして支払うものを、会社が給料から差し引くことで代わりに徴収します。これを住民税の「特別徴収」と呼びます。(反対に、社員が自分で支払いの手続を行うことを住民税の「普通徴収」と呼びます。)住民税は、原則としては、市区町村が各社員の毎月の納付額を計算したものを、会社で納付します。納付する金額は、前年の所得金額に基づいて計算されていますので、その月の給与計算上、所得税や社会保険料の計算に影響を与えることはありません。納付書は社員の住所地の市区町村の役所から、6月?5月の一年分がまとめて届きます。会社を退職すると、特別徴収はできなくなります。この場合には、「給与支払報告に係る給与所得者異動届書」を退職した社員の住所地の市区町村に提出します。なお、退職日によって次の3つの徴収方法となります。

 

?退職日が11日?430日の場合

最後の給与又は退職金から一括して徴収する。

?退職日が51日?531日の場合

通常どおり最後の1ケ月分を徴収する。

?退職日が61日?1231日の場合

退職者にどちらの方法にするか選択してもらう。

イ最後の給与又は退職金から一括して徴収する方法。

ロ普通徴収で納付する方法。普通徴収を選択した場合には後日、市区町村の役場から給与所得者本人に住民税の納付書が送られてきますので、個人で期日までに納付することになります。

 

3)源泉徴収票の交付

居住者に対し国内において給与等の支払をする者は、その給与等の金額その他必要な事項を記載した支払明細書を、その支払を受ける者に交付しなければならない。(所231)と定められています。従って、退職した社員に対しても源泉徴収票を発行する必要があります。

 

4)マイナンバー制度に伴う、源泉徴収票の様式の変更

平成28年分の給与所得の源泉徴収票については、社会保障・税番号制度(マイナンバー制度)の導入に伴い大幅に項目やレイアウトが変わっています。用紙の大きさが従来のA6サイズからA5サイズに変更されています。個人番号又は法人番号の記載については、税務署提出用には記載しますが、受給者交付用には記載しません。平成27年分までとは異なり、税務署提出用と受給者交付用とでは記載の内容が異なることになりましたので、注意が必要です。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRネット東京 会長 小泉 正典  /  本文執筆者 弁護士 市川 和明、社会保険労務士 山本 純次、税理士 山田 稔幸



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