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第150回 (平成26年7月号) SR東京会

「地元の恋人のことが心配なので、実家に帰ります…」
これまでの経費は?

SRネット東京(会長:小泉 正典)

E協同組合への相談

V社は個人事業のときからD協同組合に加入し、その後も経営に関する支援を受けつつ、社長は組合の理事として活躍しています。

今年のV社には新卒社員が5名入社し、それぞれ別の店舗に配属され、1ヶ月が過ぎようとしたときでした。A店の店長から社長に連絡がありました。「なにぃ、新入社員のTが、地元に残してきた恋人のことが心配だから辞めるだとぉ…」店長から話を聞いた社長は、怒るよりもあきれてしまい、めまいがしてきました。やっとのことで「とにかく、俺が行って話をするから、それまではT社員を残しておけ」と店長に命じると、A店に向かいました。T社員を前にして、社長が説教・説得を続けますが、T社員は聞く耳を持たないようです。「私は辞めることを決めましたので…」と動じません。社長は「君のために、移動費用、引越費用、そしてアパートの礼金敷金など、すべて会社が出費しているのだ。君に期待していたから、それだけの投資をしたのだ…」と言っても、「私が頼んだわけではありません、初日から長時間労働ですし、日曜も休めない、帰省の費用もお願いしたいと思っています…」あくまでも冷静なT社員でした。

A店から組合事務所に回ったV社社長は「まったく腹が立つ!何とか弁償させられないものか…」と事務局職員に経緯を話しましたが、損害賠償でもなさそうですし、貸付金というわけでもないようです、何とも答えようがありません。

しかし、今後のこともあるので、専門的な相談内容について連携している地元のSRアップ21を紹介することにしました。

相談事業所 組合員企業V社の概要

創業
1970年

社員数
正規 28名 非正規 3名

業種
美容業

経営者像

V社の社長は62才、県内で美容院5店舗を経営しています。新卒社員を育て上げて、将来は一国一城の主にするのがV社の人材育成方針でした。
「若いころの給与は安いかもしれないが、目に見えない貯金をしていると思え」というのが社長の口癖です。しかし、最近では「根性のあるやつがいない」「暖簾に腕押し」という思考に追われ、育成方針を変えようかと悩んでいるところでした。


トラブル発生の背景

地方で採用した新卒社員に対するフォローの問題かもしれません。「昔と今は違う」という、特に勤労意識の変化に対する対応の遅れが招いたような事件です。
社員採用時の支度金や移転費用について、最初にどのような約束をすべきだったのでしょうか。また、新卒社員に対し、最初からOJTというのは、今の時代の若者に効果的な手法なのでしょうか。
T社員からすれば、「すべて会社が悪い」ということになっています。「初日から長時間労働」ということに対しても、残業代の不払いや帰省旅費を請求しかねないような状況です。

ポイント

V社社長の精神論や根性論がまったく通じないT社員です。このことは他の新入社員にも少なからず影響を与えそうです。仕事柄、朝のカット練習や昼食時も来店があれば中座しなければならない環境、夜は先輩が帰った後の清掃と、拘束時間は1日10時間程度になります。かろうじて、1日2時間程度の固定残業代が定義されていますが、社員達にはあまり理解されず「この仕事なのだから仕方ない」という受け止め方をされています。
仕事も、「いつになったら顧客へのサービスができるのか」という目標設定があいまいで、「まじめに仕事をしていれば、いつか日の目がある」というようなV社です。
V社の社長への良きアドバイスをお願いします。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:市川 和明)

V社の人材育成方針からすると新卒社員Tとの間で期間の定めのない雇用契約を締結していると考えられます。この場合、労働者は理由を要せずいつでも解約の申入れをすることができ、解約申入れの日から2週間を経過することにより、雇用契約は終了します(民法627条1項)。なお、遅刻欠勤による賃金控除のない月給制の場合、労働者は、その月の前半に翌月以降に対してのみ解約を予告して解約することができます。ですから、Tが一方的に退職することを法的に阻止することはできません。

他方で、V社は、Tが地元から出てくるための移動費用等を負担していますが、Tが頼んだわけでもないとのことですから、貸付金ともいえません。民法にしたがって退職するだけでは雇用契約の不履行もなく、損害賠償請求もできません。

また、アパートが借り上げ社宅ということですと、Tの退職とともに、アパートの賃貸借契約についても解約処理が必要になります。Tが地元に帰る費用については、退職後はもちろん、雇用契約中であっても会社の業務とは無関係であり、原則としてV社が負担する理由はありません。

社員が正当な理由なく退職した場合、採用時にかかった費用を全部又は一部を支払う旨の就業規則の制定や誓約書を取ることが考えられますが、「労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」とする労働基準法16条に違反し、無効とならないかが問題となります。

社員に投資した費用のうち、業務との関連があり、通常会社が負担すべきものについて、退職を理由として、その負担を社員に求めるということですと、社員の自由意思に反して労働関係を継続することを強制されることになりかねないことから、16条により無効とされます。この点、当該契約が無効となるかどうかは、当該契約の内容およびその実情、使用者の意図、契約が労働者の心理に及ぼす影響、基本となる労働契約の内容及びこれとの関連性などの観点から総合的に検討する必要があるとする裁判例があります(サロン・ド・リリー事件?浦和地判S61・5・30判時1238?150)。

そこで、社員との間で、業務に直接関連せず、通常会社が負担しない費用に関し、雇用契約とは別に独立した貸金契約を締結し、合理的な返済方法を定めて金銭を貸し付け、一定期間(例えば、1年以上)の勤務を継続した場合、返還義務を免除することが考えられます。

本件の場合、勤務先がTの地元から通勤できる距離ではありませんので、Tが実際に勤務するには転居が必要と思われます。移動費用や引越費用などの転居費用を就業規則ないし慣行で会社負担とされているのであれば、社員への福利厚生ないし賃金として支給されたものと理解できます。この場合、転居費用は通常会社が負担する費用であり、雇用契約と別に独立して貸金契約を締結しても、実質的に勤務を継続しない限り、本来会社が負担すべき費用を従業員に負担をさせることとなるため、社員の自由意思に反して労働関係の継続を強いるとして、貸金契約は無効となると考えられます。

逆に、そのような規則や慣行がないのであれば、会社が一方的に立替払して、社員が不当利得していると理解することができます。この場合、前記のような独立した貸金契約を締結して貸付けを行い、一定の勤務継続を条件に返還義務を免除しても無効とはならないものと思われます。

最後に、V社での朝のカット練習や夜の先輩が帰った後の清掃は実質的に業務命令として行われているようですし、昼食時も来店があれば中座しなければならないことからすると休憩時間も与えられていないといえる状態にあると考えられ、拘束時間は1日10時間程度であることから、2時間程度の時間外労働が発生しています。1日2時間程度の固定残業代が定義されているとのことですが、平日の実際の時間外労働に対する割増賃金に不足する部分があれば、その支払義務が発生します。また、日曜も休めないということによる休日労働についての割増賃金も発生します。よって、T社員は、V社に対し未払の残業代を請求することができます。

なお、労働基準法15条2項は、労働契約の締結に際し明示した労働条件が事実と相違する場合、労働者は即時労働契約を解除できるとし、同条3項は、就業のために住居を変更した労働者が契約解除の日から14日以内に帰郷する場合、使用者は必要な旅費を負担しなければならないとしています。

本件の場合、V社がどのような労働条件を明示していたのか不明ですが、T社員は、地元の恋人が心配で辞めると言っているようですから、労働条件の相違による労働契約の解除ではないようです。この理由ではT社員は、帰省旅費の請求をすることはできません。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:藤見 義彦)

V社社長のいう精神論や根性論が通用しないのは、何もT社員のような若い社員に限ったものではありません。最近は、中高年の中途採用者でも、業界にとって繁忙期である土曜、日曜あるいは年末などに、有給休暇を取得する人もいます。A店では、かつて美容院を経営していた常連の女性客から「このお店には、日曜日に休む人がいるのね」と皮肉を言われたことがあります。社長は、「昔のように根性のあるやつが少なくなった」「若者に上昇志向がなくなった」と嘆いていますが、果たしてそれだけの問題でしょうか。労働者の勤労意識は間違いなく変わってきています。このままでは、再びT社員のような人が出てこないとも限りません。V社には、現代に対応した労務管理、社内体制作りが求められています。

A店では、毎朝、カット練習を行っているようですが、閉店後にカットを含めさまざまな練習を行っている店舗もあります。開店前や閉店後の練習は、会社が強制したものであれば、当然勤務時間です。強制まではしていなくても、先輩たちから「練習をして、早く一人前になるよう努力しろ」と言われ、暗黙のうちに定時で退社できない、長時間職場に拘束されるような環境にあった場合も勤務時間とみなされます。この場合、拘束時間に対する賃金の支払いが必要で、法定労働時間を超えた場合には割増賃金を支払わなければなりません。よって、V社では、1日2時間程度の固定残業代が定義されているようですが、不足が生じた場合は、差額分を支払う義務があります。それ以前の問題として、会社には、従業員が長時間労働にならないよう、健康で働くことができるよう配慮する義務があります。

本件で、会社が投資と考えている諸々の費用(引越し費用、アパートの入居にかかる敷金、礼金の費用等)を自己負担させたいという社長の気持ちもわかります。ただ、わずか1ヶ月程度の勤務で突然辞めると言ったT社員にも言い分があります。T社員が主張する長時間労働の事実、休日の有無、時間外・休日労働に対する割増賃金の支払実績などをみると、むしろ会社の方に問題があったと考えられます。また、長時間労働を理由に労働条件が違うと指摘され、14日以内に会社を辞めて実家に帰る者が出た場合、会社は、必要な旅費(交通費はもちろん、食費、宿泊費も含みます)を負担しなければなりません。今後は、入社後3ヶ月間経過した者にのみ、費用(引越し費用、アパートの入居にかかる敷金、礼金の費用等)を負担するといったルールを採用した方が安全です。同時に、労働時間の管理、法定労働時間を超えてしまった場合の割増賃金の支払いなど、今一度、労務管理のあり方を見直す必要がありそうです。

新入社員たちは、早く一人前のスタイリストになって、いずれは自分の店を持ちたいという夢を持って入ってきました。漫然と働かされ、いつになったらスタイリストになれるのか、先が見えない会社に人は定着しません。一所懸命働き、技術を磨き、自分の目指す目標に近づいていることがわかるような仕組みを作ることが求められます。そのためには、会社が経営理念をはじめ、会社の使命、経営姿勢を示さなければなりません。

V社の社員として望むこと、例えば「お店はお客様のためにある。お客様には常に礼儀正しく笑顔で接し、お客様の大切な時間を無駄にしないようキビキビと行動する」など、採用時をはじめ、社長の思いを折に触れて話すことです。社訓を作って、お店の壁に貼ってもよいでしょう。

次に、V社として、「いつまでに何ができるようになってもらいたいのか」を具体的に示すことです。入社後、1年目のアシスタントに求められるものは何か。「シャンプー、マッサージの指名客が月50人以上になること」など、具体的に目標を設定することです。そのためには、お客様との接し方を含め、1ヶ月でこのレベルまで、3ヶ月で…、半年で…、と仕事の達成レベルと期限を設定します。2年目のアシスタントは、「初級技術者として指名客が月50人以上になること」、そして5年目には、スタイリストとして店をリードしてもらい「技術者として指名客が月100人以上になること」など、行動指針として冊子にまとめて配布したらいかがでしょうか。一国一城の主として独立させることが会社の方針であれば、店長として、経営者として必要な研修を行ったり、企業経営セミナーなどに参加させるといった教育システムも必要です。

取り急ぎ、新入社員には、昨年入社した者を教育担当者としてOJT(開店前、閉店後の清掃、フロント業務など日常業務を含む)により学ばせます。人は、教えることで成長しますので、店全体のレベルアップが図れるなど相乗効果も得られるでしょう。

税理士からのアドバイス(執筆:山田 稔)

本件のように、社員の新規採用や転勤にあたって、会社が移動費用、引越等の諸費用の負担および住宅の提供をする場合の税務上の留意事項についてご説明します。

(1)採用時に支給する支度金等
就職・採用にあたり支給される契約金・支度金は、原則的には、所得税法上、給与所得ではなく雑所得として扱われます。この際に、会社は支給した支度金の10.21%(100万円を超える場合には、その超える部分の金額については20.42%)を源泉徴収する必要があります。
ただし、契約金・支度金のうちに、就職に伴う転居のための費用で、他の契約金と明確に区分して支払われ、通常必要とされる引越や移動の費用の支出に充てられると認められる範囲内で支給されたものであれば、所得税の非課税所得として扱われますので、源泉徴収も不要となります。就職に際し、就職先から支給される支度金は、本来、その就職に伴って転居のための旅行をする等の費用を弁償する性格のものです。そのような性格を有する支度金であれば、その就職者に経済的な利益があったとは考えらません。
これに対し、実際にはそのような実費弁償としての考え方ではなく、契約金とでもいうべき性格のものとして支払われるものもあると思われます。このような性格の支度金の場合には、雇用契約そのものによって支給されるものではないため、非課税所得とはならず給与所得でもありません。一時に受けるものではあるが、労務の対価としての性格もあるため、一時所得にもなりません。以上の理由から、このような場合の課税に当たっては、雑所得として取り扱われることになります。
本件の場合には、就職にあたっての通常必要とされる移動費、引越費用のようですので、所得税の非課税所得として取り扱われることになります。

(2)会社が負担した借家権利金等
会社が就職・転勤等にあたって、移動先の住居費用を負担するケースもあると思います。
この場合の転居に際し、会社が負担した借家権利金、礼金、仲介手数料を会社が負担することは、社宅制度の代替とも考えられますが、これらの費用は転勤等に伴う転居のための旅行に通常必要な費用には該当せず非課税所得とはなりません。その借家の選定、契約等を従業員が自由に行っていること、さらに、会社が負担する権利金等については、一種の住宅手当を支給したものと認められることから、給与所得として源泉徴収を行う必要があります。
一方、会社が社宅として法人で賃貸人と住宅の賃貸借契約をしており、一定の賃借料相当額を従業員より徴収したときは、給与所得して課税はされません。

(3)転勤支度金等として一律支給する場合
会社が転勤等にあたって、転勤支度金などと称して、一括して渡しきりの支給方法を採用しているケースもあると思います。この支給方法では、使途が全く分からなくなるため、支給された転勤支度金が給与所得として課税される可能性があります。通常この場合には支出に伴う領収書などの証憑の提出を求めませんので、非課税所得となるためには、通常必要と認められる範囲内のものであることが必要です。この通常必要と認められる範囲内とは、通常の実費負担額に相当する金額ということになります。
こうした事態を避けるためには、会社は転任地までの交通費や引越費用、さらには転勤先の相場等を加味した相応の金額を(例えば、東京から大阪へ赴任する場合は一律100、000円、東京から福岡へ赴任する場合は一律150、000円など。また、単身と家族同伴の場合では金額に差を設けておくなど。)あらかじめ社内規定等に明記しておき、支給の根拠を明確にしておく必要があります。

(4)引越費用の精算・経理処理
一般的には、転居費用等の精算は、従業員の負担のことも考え、後日の従業員の立替精算にするのではなく、従業員に転居にあたっておおよそ必要な金額をあらかじめ仮払金等として先渡ししておき、後日領収証等とともに精算する形式が多いかと思います。会計処理上は、通常の経費の仮払金の精算処理と同様ですが、決算期の近くで引越が行われている場合には、精算した費用の計上をする時期について、注意が必要です。

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SRネット東京 会長 小泉 正典  /  本文執筆者 弁護士 市川 和明、社会保険労務士 藤見 義彦、税理士 山田 稔



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