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第148回 (平成26年5月号) SR沖縄会

「引継ぐことはありません!」
「後任に引き継ぐまで出社を命じる!」

SRネット沖縄(会長:上原 豊充)

P協同組合への相談

Y社の社長は、個人事業を開始したときからP協同組合に加入し、法人化の相談や物件の紹介も含めて事業活動のサポートを受けています。ここ数年、Y社の社長が組合事務局を訪れると「最近の若い者は、忍耐力も根性もない…」毎度おなじみの愚痴から会話が始まります。全6名の社員のうち、3名の社員の定着が悪く、もって3年、悪ければ3ヶ月で辞める、そしてまた求人というサイクルを繰り返しているからでした。人が入れ替わるタイミングは大変ですが、これまでは大きな問題はありませんでした。

ある日のこと、入社3年目のT社員が退職を申し出てきました。「次の採用が決まりましたので来月末で退職させてください。明日からは有給休暇を消化します…」といきなり切り出します。「おいおい、君には新しい物件を任せてある。明日から休まれたら困る、次の者が決まり引継ぎが終わるまでは頼むよ…」と最初は下手に出た社長でしたが、「そう言われても、私の予定もありますし…引き継ぐことなんてないですよ、入社以来1日も休暇をとらず頑張ったのですから最後くらいはお願いしますよ」とT社員が返したものですから、言うまでもなく社長が激昂する状況となってしまいました。

周りの社員たちが何とかその場を収集しましたが、「Tは命令違反で懲戒だ!何が有給だ!」と、しばらくは当り散らしていました。そのうち冷静になった社長が「ところで、誰かTがやっていた物件のことをわかるのか?」と見渡すと、みな下を向いています。

「何とかTを懲らしめてやりたい…何か良い方法はないだろうか?」組合事務局でY社の社長が真剣な眼差しで職員を見渡します。確かにT社員の一方的な退職で、Y社の社員たちはT社員の取り扱っていた物件の状況確認から始めなければなりませんでした。

他の社員への示しの問題もあり、また今後の対策が重要だと考えた組合事務局は、連携している地元のSRアップ21を紹介することにしました。

相談事業所 組合員企業Y社の概要

創業
1995年

社員数
正規 6名 非正規 1名

業種
不動産業

経営者像

賃貸アパート・マンションの管理業務を中心としたY社の社長は71歳、最近では、売買物件が増えてきたことから社員を1名増員し、他社で勤務している長男にバトンタッチできるように、社内体制づくりを進めています。しかし、社歴の長い3名の社員を除き、社員の入れ替わりが多いことが悩みの種です。


トラブル発生の背景

少人数の企業では、「それぞれの社員に任せっきり」ということが多いかもしれません。また、急な退職や有給休暇の取得も、他の社員への負荷が大きくかかる問題となっています。さらに、少人数ゆえに、規則が整備されることなく、社長がルールブックとなっていることも問題でしょう。
T社員は、与えられた管理業務はきちんと行っていましたが、PCや机を調べても、備忘録的なものは一切発見されませんでした。結果からすると、すべての情報がT社員の頭の中に入っているような状態でした。

ポイント

Y社は、就業規則を作成していませんでしたので、頼りは雇用契約書のみでした。ただし、雇用契約書ですので、1ヶ月以上前の退職の申し出は記載されていましたが、「業務引継ぎ」については、何の記載もありませんでした。
来月末日までに、T社員に業務引継ぎを行わせることができるのかどうか、そしてその方法はどのようにするのか。
Y社のような小規模企業における「人と情報の管理」について、Y社が検討すべき今後の改善案も含めて、Y社社長への良きアドバイスをお願いします。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:中村 昌樹)

「退職を申し出た社員が、その申し出をした日から退職予定日まで年次有給休暇を申請し、業務の引き継ぎに協力しない」という問題は、よく相談を受けるテーマです。経営者としてどのような対処が可能かを検討する前提としては、年次有給休暇に関する法律の知識を理解する必要があります。

年次有給休暇の権利は、労働者が6か月間継続勤務し、全労働日の8割以上勤務するという要件を充足することによって法律上当然に労働者に生じる権利であり、労働者がその有する年次有給休暇の日数の範囲内で具体的に時季指定をしたときは、使用者が適法な時季変更権を行使しない限り、労働者の時季の指定によって年次有給休暇が成立するとされています(最高裁昭和48年3月2日判決)。労働者は、年次有給休暇をいつ使うかを決めることができるのですが、他方、使用者には、請求された時季に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合には、年次有給休暇の時季変更権が認められているのです。

では、本件では、労働者と使用者のいずれの言い分が通るのでしょうか。

この点、昭和49年1月11日の行政通達が、解雇予定日を超えての時季変更は行えないとしていたため、本件のように、退職予定日までの全ての日について年次有給休暇が申請された場合、退職予定日後に時季を変更することができないので、使用者は労働者の年次有給休暇の申請を認めざるを得ないと考えられていました。

ところが、東京地裁平成21年1月19日判決は、年次有給休暇を申請した労働者Aがプロジェクトの最高責任者の地位にあったこと、労働者Aが指定した有給休暇の期間が34日間という長期にわたるものであったこと等の事情を考慮し、プロジェクトリーダーであった労働者Aによる業務引継ぎや説明が不可欠であり、労働者Aによる有給休暇の取得は事業の正常な運営を妨げるものとして、未消化有給休暇の一括行使について、使用者の時季変更権の行使を適法と判断しました。この判断は東京高裁においても維持されており、本判例の考え方は、今後の退職時の年次有給休暇の在り方について一石を投じたものと評価されています。

さて、本件の場合、Y社はどのように対処すべきでしょうか。

まず、東京地裁平成21年1月19日判決を参考に、T社員の年次有給休暇の申請に対して時季変更権を行使し、引き継ぎをするよう業務命令することが考えられます。業務命令に従わなければ、懲戒処分を行うことも可能になりますし、引継業務を一切行わないような悪質なケースでは、損害賠償請求が認められる可能性もあります。

もっとも、昭和49年1月11日の行政通達がなくなったわけではありませんし、東京地裁平成21年1月19日判決は、年次有給休暇を申請した労働者Aが、プロジェクトの最高責任者の地位にあったことを重視していますので、T社員が労働者Aと同様に扱われるかどうか、という点にはやや疑問が残ります。

また、引き継ぎが一切なされなかった場合、労働者の義務違反を問う可能性があるとしても、引継業務未了と損害との間の因果関係については、使用者が立証しなければならず、それには困難が伴います。

つぎに、退職金を支給しないという方法はどうでしょうか。退職金を支払う制度や慣行がある会社ですと、在職年数や退職理由等によって定まる額を支給することになり、退職金の減額、不支給に関する規定を適用してはじめて支給額の減額が可能になります。その中で退職金を不支給とするには、在職中の功績がすべて減殺されるほどの、よほど会社に不利益を及ぼす行為があった場合に限られますので、業務の引き継ぎをしなかったことのみをもって退職金を不支給にすることは困難であろうと考えます。会社としてできることは、あらかじめ、退職金規程の満額支給の要件に「業務の引き継ぎを完了すること」といった条項を入れておくことで、支給の減額が認められやすくしておくにとどまると思います。

このように、引き継ぎをしないと損害賠償請求や退職金の減額という制裁がありうるとしても、退職の決まった社員がいくら業務の引き継ぎを怠ったからといって、会社側にそれをやらせる強制力はありません。極論すると、退職を決めた社員の立場は強いのです。どうしても引き継ぎが必要な場合には、会社は社員にお願いし、有利な条件を示して引き継ぎをやってもらうことになると思います。会社としては、そもそもこのような事態が発生しないように、社員との信頼関係を築いておくことが最も実効性のある方法ではないでしょうか。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:上原 豊充)

Y社は、社員が少人数ゆえに、就業規則を作成しておらず、頼りは雇用契約書のみでした。雇用契約書ですので、1ヶ月以上前の退職の申し出は記載されていましたが、「業務引継ぎ」については、何の記載もありませんでした。

果たして、雇用契約書には、記載がなくても、来月末日までに、T社員に業務引継ぎを行わせることができるのでしょうか。Y社のような小規模企業における「人と情報の管理」方法、今後の社員育成方法、本件の収拾方法、その他今後Y社が労務管理上注意すべき点などについて検討してみたいと思います。

なお、これらの問題についての法的な見解、参考判例の検討などは、弁護士の解説にお任せすることにして、労務管理における就業規則の重要性について検討してみます。

労働基準法第89条の規定により、常時10人以上の労働者を使用する使用者は、就業規則を作成し、労働基準監督署に届け出なければなりません。したがって、9人以下なら作成義務はありません。しかし、労務トラブルを避けるためには就業規則の作成は必要不可欠であると思われます。特に、本件のように退職に伴う業務引継ぎ、PC等情報の管理、懲戒処分等については、就業規則の不備が原因で、会社がリスクを負うことがよくあります。トラブル社員の主張に対して会社が対抗できるのは就業規則の規定です。就業規則こそが会社(経営者)を守ってくれるのです。

本件の論点である小規模事業所の「人と情報の管理」方法、今後の社員育成方法にあたってアドバイスするとすれば、まず就業規則を作成することにより、会社と社員相互の権利義務を明文化し、会社が社員を画一的に管理するルールをあらかじめ周知し、会社と社員との約束を明確にすることが重要です。就業規則は社員が守るべきことと、会社が社員に約束をすることを規定化して明確にしておきましょう。

会社は、企業目的を遂行するために社員を組織化し、その組織を機能的に働かせるため、職場の規律たる就業規則に基づき、企業目的の達成と、株主、社員、地域社会等会社を取り巻くステークホルダーのために貢献し、さらにその組織の拡大を図っていくことを目的としています。もしも、規律たる就業規則がなければ、会社も社員も勝手な行動をして、企業目的どころか、その組織自体が維持できなくなります。

したがって、本件のような小規模事業であろうと、職場の規律を定めた就業規則の作成・周知は必須であり、それなくしては近代的・合理的労務管理はありえません。

たとえば、懲戒処分については、刑法の基本原則である「罪刑法定主義」と同様に懲戒の種類や方法等具体的に就業規則に定めておかなければ、社員の不正行為が起こったとしても懲戒することができません。

また、「自己都合による退職手続」の場合においても、業務引継ぎその他の業務に支障をきたさないような期間の確保についての義務規定を定めておくことができます。すなわち、社員が明日で辞めさせてほしいと申し出てきた場合については、少なくとも2週間は業務の引継ぎのために出勤するように求めることができますので、勝手な申出を認めず、会社としては最低限の出社を求める方向で説得することができます。

具体的には、「退職届提出後も一定期間は正常に勤務すること、後任者への業務引継ぎを完全に行い、会社の承認を得ること」等といったことを就業規則に記載して、その義務の重要性を社員にきちんと周知・教育をすることが重要です。

実務的には、退職日まで出勤してもらい、会社側の誠意として消化できない有給休暇は買い上げるなどの措置をとるか、業務引継ぎや代替要員の確保の必要性が強いことなどを理由に退職日を繰り下げてもらうように説得することが考えられます。有給休暇の買い上げは法律上認められませんが、退職時に残った有給休暇残日数分の買い上げについては例外となります。

さらに、パソコンや電子メール等の管理についても、そのルールを就業規則やその細則規程等で、たとえば、「送・受信した電子メールのテキストファイルは〇〇期間保存すること」、「会社が必要と認めたときは、本人の許諾を得ずに電子メールの送・受信履歴およびメールの内容を閲覧できること」、「この規程に違反して社内秩序を乱しあるいは会社に経済的な損害を与え、または信用を失墜させるなどの事態を生じさせた場合は、損害の賠償を求め、また就業規則による懲戒処分の対象にする」などと明文化し、周知を図っておくことが重要です。

このように、会社の労務管理や情報管理については、基本的に就業規則に基づいて行われることになりますので、Y社におかれましても、社員の意見を十分に斟酌しながら速やかに就業規則を作成し、社員全員に周知徹底するとともに、社長自ら率先して今後の会社運営、労務管理に役立てるようにしてください。

税理士からのアドバイス(執筆:友利 博明)

本件は、小規模事業者の抱える共通した課題が含まれております。すなわち、本業である不動産の賃貸管理業務について顧客情報の共有化、社員教育の仕組み作り、業務上頻繁に発生する現金管理の問題等社内整備を急ぐ必要があります。社内の業務体制を改善することによって社員の定着率を向上させ、社員の退職による業務の停滞や求人活動に伴う時間と費用負担を改善する取組みが急がれます。

Y社は新人社員の定着率が悪いため、求人活動の頻度が高く、それに伴う求人費用の発生の問題を抱えているようです。一般的な求人活動は、公的求人機関であるハローワークを通じて募集内容を掲載する求人によって経費の抑制が行われますが、近年、特殊な業種では民間の専門有料職業紹介業者への依頼や求人誌への広告掲載による場合が増加しているようです。有料の場合には、業者との契約に基づく求人費用が発生することになり、会社は求人に係わる広告費として費用計上することになります。

また、本件のように社員や知人からの人材紹介に対して、紹介者へ謝礼金を支給する場合があります。そうした謝礼金を会社の求人費用として計上するためには支給対象、金額および支給時期の要件を内規によって規定しておくことが望しいといえます。その場合、社員に対しては給与として源泉徴収の対象となり、知人に対しては支払手数料として源泉徴収することが原則的取扱いになります。また、支給額については、社会通念で基準を定めることになりますが、人材紹介業社の平均的料金を超えることにならないようにすることが必要でしょう。

Y社は、賃貸アパート、マンションの管理業務を中心とする不動産業ですので、管理物件オーナーとの信頼関係の構築が重要です。そのためには、不動産運用の稼働率を高めることに加えて賃貸料等の遅滞のない清算が重要な業務になります。

Y社の社員がその担当物件に関して実施している業務の内容は、入居者の募集から始まり敷金、礼金、預り保証金についての契約書作成、毎月の家賃、共益費の集金とオーナーとの清算および、入居者からの苦情処理や物件の保安管理等の業務が日常的に行われていることが伺われます。また、入居者の退室時には、賃貸室の破損状態の確認、修復工事の発注、預り金等の清算が行われることになります。本件は、こうした管理物件に関する基本的な入居履歴等を記録管理し、社内共有化するシステムが構築されておらず、「それぞれの社員にまかせっきり」であったことに起因するT社員の退社騒動になってしまったと思われます。

また、Y社では担当管理物件の管理費等について現金清算をしていたことが伺われ、T社員は恒常的な現金管理上の負担を感じていたものと思われます。同時に、現金取扱いを管理担当者が単独で行うことによる不正の発生要因を内包しており、その改善策が必要です。今後の対策として入居契約時の敷金、礼金、預り保証金に加えて前家賃のような多額の金額を伴う取引の場合には、関係者が銀行立ち会いの下に口座間振替で処理することが不正防止につながります。また、金額的に少額であれば、会社で経理担当者等複数の立ち会いの下で清算し、遅滞なく関係口座へ入金するなどの手順を決めておくと良いでしょう。併せて毎月の家賃は、口座間振替の手続きを原則とすることで社員の負担軽減につながり、不正の予防策にもなります。

本件は、Y社だけの特殊事例ではなく、小規模事業者に共通する社員の定着率の悪さを発端としています。3人のベテラン社員は、新人教育よりも自ら業務処理した方が早いという社風がみてとれます。改善策としては、新人向けの業務研修の定期的実施に加え、新人毎にベテラン社員がついてペアで業務対応をするなどの方法を試みてはいかがでしょうか。新人にとっては業務上の相談が可能となり、それによって職場における不安感を払拭し、さらに目標となる先輩から直接指導を受けることで、業務への自信と社員間の信頼感も生まれてきます。

T社員の退職を契機に、業務内容の共有化を推進し、本件の抱える求人費問題や社員退職に伴うトラブル発生を未然に防止するための貴重な業務改善の機会にしていただきたいと思います。

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SRネット沖縄 会長 上原 豊充  /  本文執筆者 弁護士 中村 昌樹、社会保険労務士 上原 豊充、税理士 友利 博明



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