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第12回 (平成15年2月号)

いきなりの退職金規定改悪!
社員の既得権はどうなる?

SRアップ21徳島(会長:森本 和彦)

相談内容

通信機器関係の工事を請負うJ社は、長引く不況下にあっても何とか経営を存続していました。というのも、経営が苦しくなったときには、R社長が個人的に費用を拠出し、その場の危機を回避してきたからです。
しかし、このような場当たり的な処置がいつまでも続くはずがありません。 いつのまにか、会社への貸付金は8千万円を超える金額になっていました。
このような状況でしたから、役員報酬を減じることは当然として、賞与の支給停止、賃金カット、外注単価のカット等を進言する顧問税理士とは喧嘩別れしてしまい、いよいよR社長は追い詰められてしまいました。
R社長は、自分なりに役員報酬を減じ、賞与の支給停止までは実行できましたが、それ以上の対策にはなかなか手がつけられません。
今後発生する経費を少しでも減らそうと、退職金の減額を考えたのはやむを得なかったのでしょう。「これまで社員には随分とよくしてやったつもりだ、これくらいの我慢はしてくれるだろう」とたかを括っていたR社長に社員からの思わぬ反撃がありました。

相談事業所 J社の概要

創業
昭和41年

社員数
35名(パートタイマー 3名) 

業種
電気設備工事業

経営者像

71歳、J社の創業者であるR社長は、義理人情に厚く、職人気質。いくら資金繰りが厳しくても、社員の給与はもとより、昔から付き合いのある外注業者への支払は、私財を投じてまかなってきた。


トラブル発生の背景

J社は昨今の建設会社にありがちな、「仕事はそれなりにあるのだか、単価を値切られ、利益率が悪化している」状況でした。 よって、社員は忙しいのですが、J社は儲からないという最悪の経営サイクルに陥っていたのです。
しかし、このような状況にあっても、R社長は社員に対し、日頃からJ社の経営実情を十分に説明するタイプではありませんでした。そのために社員にしてみれば、退職金の減額などは「寝耳に水」の話だったようです。
一方、J社にはR社長に人間的な魅力を感じているからこそ、創業以来継続勤務する社員が多いことも事実です。これまで、まともに残業手当が支払われなくても、文句のひとつもありませんでした。

さて、J社の退職金計算は、【基本給 × 勤続年数 × 支給率】といった簡単なものでしたから、社員にはかなりの期待感があったようです。(下表参照)
J社のように「退職時の基本給」を退職金の計算に取り入れている会社は、まだまだ多く存在しますが、通常の賃金管理を怠ると、退職金が不用意に増大しますので、”対岸の火事”と思わず、これを機会に見直されることをお勧めします。
R社長が決行した、法的な裏づけも根拠もない、【支給率】を単純に下げただけの退職金規定の変更にはかなりの無理があったようです。

 

J社 退職金支給率表  
(※ 基本給は支給事由が生じた日の属する月の前月度のものを使用  
(※ J社社員の基本給は、100,000円?180,000円)  
(※ 定年退職は自己都合の支給率を使用)

勤続年数 自己都合 会社都合
3年以上 5年未満 40% 100%
5年以上 10年未満 50%
10年以上 15年未満 55%
15年以上 20年未満 60%
20年以上 25年未満 65%
25年以上 30年未満 70%
30年以上 35年未満 75%
35年以上 40年未満 80%
40年以上 85%

経営者の反応

定年退職を間直にひかえていた社員5人が社長に詰め寄ってきました。
「これまでいろんなことを我慢して社長についてきたのですよ。それなのにいきなりこの仕打ちはひどいじゃないですか。」
まず、R社長は驚くよりも頭にきてしまいました。
「お前らに給料払うために、俺がどれだけ苦労しているのか知っているのか。こんな時代に少しでも退職金が出るだけでもありがたいと思え。」
後は、喧々諤々の修羅場です。
社員が帰り、冷静になったR社長は、「こんな勝手な変更が許されるのなら、どこの会社でもやっていますよ。裁判やったら絶対我々が勝ちますよ。」といった社員の言葉が気になって仕方ありませんでした。
少し強硬すぎたことを反省したR社長は、知人を通じ弁護士を訪ねることにしました。 SRネットの一員であった弁護士はことの顛末に厭きれ、この件は税務、労務等、全面的なフォローが必要だと感じました。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:浅田 孝幸)

社会経済情勢の変化、経営方針の変更、労働慣行のあり方に対する考え方の変化等に伴い、退職金制度の改定を検討し、または改定に踏み切る企業が多くなっています。
しかし、昨今の厳しい経済情勢の下では、企業の思惑が達成されることは少なく、退職金制度の改定に伴う労使紛争が多発しているところです。 J社の場合、退職金制度の改定について、労働条件の不利益変更という観点から検討し、不利益変更に該当するか否か、該当するとした場合にそのような変更が法的に認められるかどうかについて検討することとしました。

(1)労働条件の不利益変更についての一般的な考え方
一般的に、契約とは当事者の合意によって成り立っているのですから、その内容を変更するには両者の合意が必要です。 したがって、会社が一方的に退職金の減額変更を通告しても、個々の労働者の同意がない限り、退職金の減額変更の効力を生じないというのが原則です。 よって、退職金にしろ、その他の労働条件にしろ、労働者に不利益な変更をしようとする場合には、労働者に対して変更の内容、理由、必要性について十分に説明し、労働者の納得、同意を得た上で実施することが必要です。
経営の維持のために退職金を減額せざるを得ないというのであれば、一方的に通告するのではなく、そうせざるを得ない事情を労働者に対して十分に説明し、同意を得て実施すべきです。そうすれば、何も労働条件の不利益変更の法的な効力はどうか、などと難しいことを検討する必要はなく、労働者に不利益な変更であっても特に問題なく実施することができます。

(2)就業規則における不利益変更の効力
個々の労働者の同意がない限り、労働条件の不利益変更を行うことができないというのであれば、労働条件の不利益変更はほとんど不可能となってしまい、企業が経営環境の変化に適応することができなくなってしまいます。
そこで次に、就業規則(退職金の場合には退職金規定)の変更という方法で労働条件の不利益変更を行うことができるかどうか、について検討してみます。 多数の労働者を雇用する企業においては、各労働者の労働条件をそれぞれ個別の労働契約によって規律していくことは現実的ではなく、労働条件を公平かつ統一的に設定することが効率的な事業経営のためには必要不可欠です。 こうした事業経営上の必要性から、使用者は就業規則を作成して労働者の基本的な労働条件を定めているわけです。
ところが、企業においては、社会情勢や経営環境等の変化に伴い、企業体質の改善やさらなる経営の効率化、合理化をする必要に迫られ、その結果、賃金や退職金の減額を含む労働条件の変更を余儀なくされる場合があります。 このような場合に、個々の労働者が同意しない限り、就業規則を変更することはできないのでしょうか。この問題について、最高裁は次のように述べています。

「新たな就業規則の作成又は変更によって、既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されないと解すべきであるが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものであるかぎり、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されないと解すべきである。」(秋北バス事件・最高裁大法廷昭和43年12月25日判決)

 

 

つまり、最高裁の判例によれば、就業規則の内容を労働者にとって不利益に変更することは原則として許されないけれども、その変更に「合理性」が認められる場合には例外的に許されるということになります。

そこで、いかなる場合に「合理性」が認められるかということが問題となりますが、この点については、おおむね次のような事情を総合的に考慮して判断することとされています (第四銀行事件・最高裁平成9年2月28日判決、みちのく銀行事件・最高裁  平成12年9月7日判決)。
○就業規則の変更によって労働者が被る不利益の程度
○使用者側の就業規則変更の必要性の内容・程度
○変更後の就業規則の内容自体の相当性
○代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況
○労働組合等との交渉の経緯、他の労働組合または他の従業員の対応
○同種事項に関する我が国社会における一般的状況
また、賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件の不利益変更については、そのような不利益を法的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものであることが必要とされます(大曲市農協事件・最高裁昭和63年2月16日判決、みちのく銀行事件・前掲)。

もっとも、この判断基準自体、抽象的なものであって、いかなる場合に就業規則の変更に「合理性」が認められるのか、は必ずしも明らかではありません。
具体的にどのような退職金制度改定が合理性があって有効とされ、どのような退職金制度の改定が合理性がないとして無効とされたかについては、個々の裁判例を詳しく検討するしか方法がありませんし、それぞれの会社の経営状態によっても異なります。

J社の場合は、現在において前述のすべての要件を満たしていませんので、これからJ社の実情、今後の経営建て直しを考慮しながら、一つひとつのポイントを詰めていく必要があります。 もちろん、社員代表も何人かは参加させる予定です。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:森本 和彦)

最近は経営状況の悪化から、このような事例、退職金の減額・退職金制度の廃止といった企業からの相談が増加しております。
元来、退職金制度は、社員の足留めの策として普及し始め、多分に企業側からの恩恵的給付という色彩が強かったものですが、高度成長期に就業規則の一角をなすものとして、退職金規定として定められ、制度として定着化したものです。

退職金の考え方(支給根拠)としては、
 (1) 功労的なもの
 (2) 賃金の後払い的なもの
 (3) 老後の生活の保障的なもの
などと言われています。

J社の場合の退職金の計算式は【基本給 × 勤続年数 × 支給率】となっています。
例えば40年勤務した社員で、退職時の基本給が18万円とすれば、退職金額は18万円×40月×85%で612万円にもなります。 社員35名前後の中小企業としては、それなりに高額な退職金水準になろうかと思われます。
R社長のように、単純にこの支給率を切り下げるとなると、そのような退職金減額が社員の反発を招くのは必然のことです。
また、このような変更がR社長の一言で一方的になされるのであれば、老後の生活資金や住宅ローンの一括返済の資金として期待している社員にとっても、退職後の計画に大幅な修正が必要となります。まして、それがあまりにも突然であれば、これまでR社長に従順に尽くしてきた社員だからこそ、反旗を翻すのは当然といえるでしょう。

ここでJ社における本紛争の解決策を提案してみます。法的な根拠は弁護士が説明したとおりです。

 

(1) 社員が受ける不利益の緩和と経過措置
本当にベストなのは、社員全員に会社の現状を説明して、全員が納得のうえで、社員全員から退職金制度変更に関する同意書をもらう方法です。
しかし、現実的には反対する者もいますので、結局は退職金規定の変更、就業規則の不利益変更が問題となります。
そこで、社員の被る不利益を緩和したり、経過措置を設ける方法を検討してみましょう。
既得権の保護、つまり、退職金制度変更の時点での退職金額は保証すること
今後の退職金については支給率を減額すること
経過措置として考えられる方法は、例えば今後5年間の定年退職者については、従来の計算方法で支給すること
今後10年間は支給率を現行の80%として、その後は50%にすること

いずれにしても、いきなり厳しい減額措置は難しいと考えられます。 社員にも、会社の経営状況を十分に理解させ、上記のような方法を社員にも示し、そこそこ妥協してもらえる緩和措置・経過措置が設けられると一歩前進です。

 

2) 新たな退職金制度の創設
次に、この際に従来の退職金制度は一度廃止・清算して、新たに退職金制度を設ける選択肢もあり得ます。 今回の事例では退職金制度の原資としては、税法上の退職金引当として積立てているだけであり、外部積立を行っていません。
つまり、帳簿上は立派に退職金は積み上がっているはずなのに、それが実際には預貯金・現金として用意されていないのです。中小企業には多い事例と言えます。

そこで企業の経営状況・財務状況に左右されない安全な外部積立て制度を利用されてはいかがでしょうか。
一般的には、政府系列の中小企業退職金共済を利用することが考えられます。毎月の掛金を社員一律するとか、勤務年数に応じて段階的に設定するとか、その掛金決定方法はいろいろと考えられますが、基本的には毎月の掛金が確定しますので、一種の確定拠出型の退職金制度ともいえます。
また、新しく中退共制度に加入する事業主には、掛金の1/2(上限5,000円)を加入後4か月目から1年間、国が助成することになっています。

 

(3) 経営状況の透明化
R社長は、社員に対し会社の経営状況や財務状況を普段からある程度公表しておくべきでしょう。 そうしておけば、「もうそろそろリストラか?賃下げか?何か発表されるかな?」といった多少の心構えが社員にも出てくることでしょう。
社長ひとりで何でも解決しようとしないで、社員と一丸となって会社の危機を乗り越えられるような労使関係を構築されることが、特にJ社のような規模と歴史の会社には必要だと思います。 今後は、就業規則を始めとした社内ルールの再整備が必要となってきますので、これをきっかけとして、労使のコミュニケーションが図れる場を多くつくることが、J社再建のポイントだと思います。
もしかすると、社員の意見が仕事の流れ、作業工程の見直しなど業務効率化に結びつく可能性もあります。

税理士からのアドバイス(執筆:原  孝仁)

今回の事例では、退職金の支給原資として退職給与引当金制度が利用されているようです。 そもそも退職給与引当金とは、従業員が全員自己都合で退職したと仮定し、支給する退職金を見積り、これを引き当て計上するものです。
退職金規定を定めている法人が、損金経理によって退職給与引当金に繰り入れた金額のうち、繰入限度額までの金額は、その事業年度の損金に算入します。 かつて平成10年税制改正において、退職給与引当金制度の累積限度額が期末要支給額の100分の20に引き下げられました。
ただし、平成14年度までの間は、当該割合について、平成12年度は100分の30、平成13年度は100分の27、平成14年度は100分の23、平成15年度からは100分の20とする経過措置が講じられています。
退職給与引当金に関する計算は「退職給与引当金の損金算入に関する明細書」で行います。 ところが、平成14年度の改正では、連結納税制度の導入に伴う税収の減収に対する対策として、課税ベ?スの見直しが図られることとなり、この結果、退職給与引当金の制度は全面的に廃止されることになりました。
これにより、平成14年3月期の27%を限度とする繰入れが最終となり、以後の事業年度から、既に計上されている退職給与引当金勘定の金額は、中小企業および協同組合等については10年間(各年1/10づつ)で、それら以外の大法人等については、4年間(平成14年・15年度では各年3/10づつ、平成16年・17年度では各年2/10づつ)で取り崩すことになり、益金に戻し入れることとなりました。

このように、既に積み立てられている退職給与引当金を、中小企業では10年間で取り崩すことが必要となります。この取り崩しによって益金が発生し、法人税が課税されます。したがって、従来退職給与引当金を使い、内部留保により退職金に対して備えて来た企業は、今後損金処理出来る外部積立方式に移行する必要が生じると思われます。
J社の場合も社会保険労務士が提案したように、中退共などの外部積立方式を利用した方が得策でしょう。いざというときに、「払えない」という状況も発生しませんし、掛金支払の都度損金計上されますので、経営管理的にも効果があります。 なによりも「既得権の確保」が万全となります。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRアップ21徳島 会長 森本 和彦  /  本文執筆者 弁護士 浅田 孝幸、社会保険労務士 森本 和彦、税理士 原  孝仁



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