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第100回 (平成22年5月号)

「次の試験が不合格だったら辞めてもらうよ!」「…」

SRネット北海道(会長:安藤 壽建)

相談内容

「ふぅ?いよいよ来週だなぁ…」W社のY社員がため息をついています。Y社員はJ社長との約束で、衛生管理者の資格を取ることになっていますが、これまで2回不合格となっています。「今回不合格だったら会社を辞めなければならないんだよ」とY社員が妻に打ち明けると「試験と会社を辞めることとは、関係ないんじゃないの、まだ子供も小さいし、この不況じゃ次の仕事なんて期待できないわよ」と妻が不安そうに問いかけます。
「実は、W社に入社するときに社長と約束したのさ、衛生管理者の資格が取れるのだったら採用すると…それを2回も失敗して…今度が最後だと昨日通告されたよ…」とY社員は肩を落としました。「とにかく試験は頑張ってよ、解雇なんかされたら私が文句言うわ!」妻はY社員を励ましました。

それから3ヶ月後、Y社員はまたしても不合格通知を受け取ることになってしまいました。「君はまったく努力していないのだな!職場の衛生問題には興味があるとか、試験は簡単だとか、よくも俺をだましたものだ、研修費用や受験料、テキスト代、旅費などいくらかかっていると思っているのだ!3回チャンスをやってこれでは話にならん!採用時の約束だから早く退職届をもってこい!」J社長は、あきれきった顔でY社員に言葉を投げつけました。

職場の同僚からなぐさめられても結局は「しかし、あの社長のことだから、許してくれないだろな…」ということに落ち着いてしまい、Y社員はますます落ち込んでしまいました。次の日もまた次の日も、Y社員は退職届をもってきません。ついにJ社長も切れてしまいました。「お前も男ならけじめをつけろ、他の社員にも示しがつかん、自分で決断できなければ、今日で終わりだ、私物を整理して早く帰れ!」Y社員はじっと我慢していました。

相談事業所 W社の概要

創業
昭和61年

社員数
15名 アルバイト146名

業種
警備業

経営者像

主に建設工事関係の警備を請け負うW社のJ社長は55歳、親分肌で義理人情に厚いため、この業界にあっては、社員の定着が図られています。
しかし、W社長の力が強い分だけ、幹部社員が伸び悩んでいる実情も見受けられます。


トラブル発生の背景

採用時の約束ですが、損害賠償の予約ではありません。J社長の言い分に問題があるのでしょうか。経営者の立場になれば、理解できるような気がします。
一方、採用時の約束を履行しないY社員は、このままW社に居続けることができるのでしょうか、J社長が行過ぎると、いじめ、パワハラといった問題に発生しそうな事件でもあります。

経営者の反応

J社長が最後通告をした翌日もY社員は出社してきました。
「おいおい、どうゆうことだ…君はすでに当社の社員ではない、早く会社から出て行きたまえ!」それでもY社員は自分の机から離れようとしません。「いいかげんにしないと、不法侵入で警察を呼ぶぞ…」周りの社員達は、ひやひやしながら成り行きを見守っています。J社長は、これ以上言っても仕方ないと判断し、管理課長を呼んで別室に行きました。
「君は管理課長なのだから、Yをなんとかしろ、あのまま居座られたらどうする?それとも現場作業に配置転換するかだ…とにかくYの処置は君に任せる、俺はこれ以上あいつにかかわりたくない」というと管理課長をおいて外出しました。
いきなり大役を任された管理課長は途方にくれました。普段はすべてJ社長が切り盛りしているので、人事や法律のことなど何もわかりません。個人的には、Y社員が自ら退職するべきだと思っているので、余計に自分から退職勧奨を行い、恨みを買うようなことはしたくありません。
「どこかに相談しよう…」管理課長は、ネットを検索し始めました。

  • 弁護士からのアドバイス
  • 社労士からのアドバイス
  • 税理士からのアドバイス

弁護士からのアドバイス(執筆:浅野 高宏)

本件では、Y社員の採用に際して、J社長とY社員との間では、「採用後に衛生管理者の資格をY社員が取得できるのであれば採用する」という約束がなされていたようです。残念ながら、Y社員は採用時のJ社長との約束を果たせずに、本件では解雇を通告されてしまっているわけですが、果たして本件の解雇は有効となるのでしょうか。

ここで、Y社員が試用期間中の従業員であった場合と本採用後の正社員であった場合に分けて解説します。

試用期間中の従業員の本採用拒否については、次のような判例があります。
この判例の会社では大学在学時に学生運動の経験を有しているものは採用しないという方針をとっており、採用時に提出させる身上書には、特に「学内団体委員部員の経験」の有無を記載する項を設け、虚偽があったり事実の記載を怠ったりしたときには採用を取り消すことがあると明記していました。
ちなみにこの会社の就業規則では、試用期間は3か月以内とされ、本人の素行や勤怠等について審査の上、本採用の可否または期間の延長を決定すると規定されていました。原告となった労働者は、採用時に在学当時学生自治会の役員に就任して安保反対闘争等の学生運動に関わっていたことを秘匿して入社したところ、試用期間中に、このことが発覚し、会社は管理職要員としての適格性に欠けるとして本採用を拒否しました。
この事件で裁判所は、試用期間中は解約権が留保された労働契約が成立しているとした上で、その解約権の行使には客観的に合理的な理由と相当性があることが必要であるとしました。そして、本採用拒否の場合の解約権行使は、本採用後の解雇よりも広く解雇の自由が認められるけれども、解約権行使に合理性、相当性が認められるのは、会社が採用決定後における調査の結果により、または試用中の勤務状態等により、当初知ることができず、また知ることが期待できないような事実を知るに至った場合において、そのような事実に照らしてその者を引き続き会社に雇用しておくことが適当でないような場合を指すと述べました(最高裁昭和48年12月12日大法廷判決民集27巻11号1536頁)。

この判断を本件に当てはめてみましょう。確かに、J社長とY社員との間では、衛生管理者の資格を取得するということが採用の条件となっていました。
J社としてはY社員に衛生管理者の資格を取得させて、法定の要件を満たそうとしたのかもしれません。もっとも、仮にそうであったとしても、これまでJ社長としては、Y社員以外に衛生管理者の資格を取得させることも可能だったのではないか、衛生管理者の資格をY社員が取得できなかったことでJ社におけるY社員の業務遂行に支障が生じているのかどうか、といった点は不明です。衛生管理者の資格を取得できることを前提に特別の賃金(資格取得前から特別の手当などが付加されている)が設定されているなどの事情がないと、衛生管理者の資格取得をただちに本採用拒否事由にすることができるかは、なお検討を要するでしょう。
加えて、いつまでに、また何回の受験で取得するということが決められていたのかどうか不明です。衛生管理者の資格試験は、地域によって異なるようですが、毎月1回から3回程度実施されているようです。そうすると、短い試用期間中に3回立て続けに試験に落ちてしまったというのは、Y社員の実力不足を感じさせるエピソードとなる反面、まだ勉強次第では延びる可能性もあるでしょうから、能力不足と決めつけることには躊躇を覚えるところです。したがって、本採用拒否は無効とされる可能性が高いように思います。

Y社員が本採用後に解雇された場合
解雇の効力については、ご存じのように、労働契約法16条が「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」としています。したがって、解雇の有効・無効は、本採用拒否の場合がそうであったように、合理的理由の有無と相当性で判断されますが、本採用拒否の場合に比べれば、解雇が有効となるために要求される合理的理由の内容・程度及び相当性の程度はハードルが高く設定されていると理解してください。もっとも、解雇の効力の判断基準は労働契約法で定められているものの、その内容は抽象的であるために、一般の方はもとより弁護士のような法律の専門家でも、解雇が有効といえるかどうかを判断することは至難のわざといえます。

能力不足を理由とする解雇の効力を考える上での一応の指針としては、繰り返し教育訓練を実施して改善のチャンスを与えたにもかかわらず、将来にわたり向上が見込めないほど著しい能力不足が認められ、もはや会社から排除するほかないような状態に至っているかどうかで解雇の有効性を判断しているのが一般的でしょう。ここで注意が必要なのは、試用期間を経て本採用された従業員については、試用期間中には予想できなかったような能力不足が本採用後に発覚したような場合でないと、なかなか解雇は認められないということです。

たとえば、本採用後の解雇とされた事案で、少し事案の内容が特殊ですが、ブラザー工業事件という事件(名古屋地裁昭和59年3月23日判決労判439号64頁)が参考となります。この事案の会社では、まず労働者を「見習い社員」、「試用社員」「正社員」に分け、その各段階で登用試験を実施することとしており、一定の受験回数で試験をクリアできなければ「もはや社員としての資質を備えることが将来において望み得ない」として解雇されるという制度を採用していました。この事案の労働者は見習い社員から試用社員への登用試験には合格したものの、正社員登用試験(およそ98パーセントの従業員が合格する試験)に3回不合格となり解雇されました。しかし、裁判所は、この解雇を権利の濫用として無効としました。
その理由を簡単にいうと、見習い社員のときからあまりできが良くないことは会社もわかっており、そのことを承知で試用社員に登用したわけであるから、その後に正社員登用試験に合格しなかったとしても、そのようなことは試用社員に登用するときから予想できたことであり、試験不合格をもって解雇しなければならないほど著しく勤務能力が劣るとはいえないというものです。

本件では、Y社員が衛生管理者の資格を取得しなければならない理由がJ社長と採用時に約束したからという以外にはないように思われます。確かにJ社長との約束を破ることは、J社長の信頼を裏切り、社長に不快な思いをさせるであろうことは優に想像できます。しかし、これは会社がY社員を解雇する主観的な理由になりえても、果たして社会的にみても相当な客観的合理的理由といえるかどうかは疑わしいところです。
会社としては、さらに教育訓練を実施し、場合によっては衛生管理者以外の職務を任せることで、Y社員の活用の余地があるのかをまず検討する必要があるでしょう。そのような努力なしに解雇することは時期尚早な解雇として、その効力は否定されると思われます。

さて、衛生管理者の資格を取得できない従業員は採用したくないと考える場合、どうすればよかったのでしょうか。
その場合には、たとえばY社員を1年間の有期雇用契約社員として採用し、更新の条件として3回の受験機会のうちに衛生管理者の資格を取得することとして、いずれの試験でも不合格となった場合には、更新されなくとも一切異議を申し出ないという雇用契約を締結し、1年間のY社員の努力と成果を見て、残念ながら不合格であれば、期間満了により雇用契約を終了させるという措置をとればよかったのであろうと思います。

次に、出社し続けているY社員に対する対応について考えてみましょう。
本件で解雇は無効となる可能性が高いにしても、J社長が解雇を撤回しない限り、Y社員の出社行動に対して何らかの対応をとる必要があります。会社としては、もちろん解雇はひとまず有効と考えた行動をとるのでしょうから、出勤を禁止して会社内にY社員が立ち入らないように警告することは可能です。
あるいは、もう少し折衷的な対応としては、解雇の有効・無効について弁護士のような専門家あるいは裁判所などの公的紛争処理機関の判断を仰ぐ必要があるので、それまでの間自宅で待機してもらうということも考えられます。その場合の賃金ですが、自宅で待機することが仕事であるという命令ですから、通常は100%賃金をひとまずは支払い、仮に、裁判などで会社側の主張がとおり解雇が有効とされた場合には、後日、支払った賃金を返還してもらう約束をした上で暫定的に賃金を支払うということも考えられます。
私の場合、本件の解雇は無効であると考えるので、J社長にそのことを理解してもらうまで、Y社員に自宅待機を命じて賃金を保障するようアドバイスしますが、その他にY社員の能力不足を基礎付ける事実があり、裁判をやってみないと結論がわからない場合には、あくまでY社員の出社を禁じた上で、直ちに労働契約上の地位不存在確認の仮処分または労働審判を提起するよう勧めることになります。

社会保険労務士からのアドバイス(執筆:岡本 洋人)

弁護士からのアドバイスにもあるとおり、本件でY社員を解雇することについて争いになった場合、会社側に有利に働く要素は少ないようです。J社長は、ここでリスクを負って解雇を強行するよりは、解雇を撤回して今後に向けて手を打つことを考えるべきでしょう。
重要なことは、Y社員が会社を去ることではなく、衛生管理者の試験に合格することだとJ社長には気持ちを切り替えていただいたうえで、以下のような条件付きで改めて有期労働契約を締結するよう話し合いの場を設けてみてはいかがでしょう。

?合格までの受験回数を双方話し合いのうえ決定すること
?衛生管理者試験の受験勉強のため必要な時間を与えること
?受験に必要なテキストや受験料は会社が負担すること
?上記?から?のとおり会社がY社員に対し十分な配慮をしたにもかかわらず、衛生管理者試験に不合格となってしまった場合には、労働契約を更新しないという条件付きの労働契約を締結すること

このような話し合いにY社員が応じるかどうかは、本人の判断によります。しかし、採用の際に衛生管理者試験の合格を条件としていたことは事実ですから、Y社員が拒否することはないでしょう。もう一度Y社員のやる気を鼓舞し、合格をサポートしてみましょう。

次に、今後のW社の教育訓練のあり方について、業務命令によるものと社員の意思によるものに分けてご説明します。
本件の衛生管理者については、労働安全衛生法で常時50人以上の従業員を雇用している場合に1名以上選任する必要があると規定されております。
会社にとっては法律要件を満たすために必要な資格となりますので、業務命令で資格を取得させる場合には、対象者に資格取得の意思確認を行ったうえで、必要な勉強時間の確保、講習受講料・受験費用の負担等について、会社が十分に支援する必要があります。
一方、社員の意思による資格取得については、あくまでもプライベートと位置付け、勉強時間の確保、講習受講料・受験費用については本人が負担するのが一般的です。 なお、社員の意思による資格取得チャレンジについても、やる気のある社員を優遇する、あるいは資格があることで業務に役立つ場合などは、資格取得支援制度や資格手当等を導入することで、社員のモチベーション向上・レベルアップを促進できる可能性があります。これを機会に、将来に向けての体系的な教育訓練制度を検討することをお勧めいたします。

税理士からのアドバイス(執筆:遠藤 成紀)

教育訓練に要する費用の取り扱いについて、税務の面では大きく二つの論点があります。

1つ目の論点、教育訓練費の総額に係る税額控除の特例(租税特別措置法42条の7)の適用についてご説明します。
この制度は、青色申告書を提出する中小企業者等が平成20年4月1日から平成23年3月31日までの間に開始する事業年度において、その事業年度における労務費の額のうち教育訓練費がある場合に、その教育訓練費の労務費に占める割合が0.15%以上であるときは、当該教育訓練費の額に教育訓練費割合に応じて8%?12%を乗じた金額を、その事業年度の法人税額(その20%を限度とする)から控除することが出来るというものです。
ここでいう教育訓練費とは、法人がその使用人の職務に必要な技術、または知識を習得させ、または向上させるために支出する費用で、当該教育訓練のために、講師や指導者に対して支払う報酬や謝金、施設設備を賃借する場合の賃借料、教育訓練の用に供する教科書その他教材などが該当します。
また、労務費とは、前述の教育訓練費に給与と法定福利費を加算したものをいいます。

給与課税か訓練費(研修費)か?
次に2つめの論点です。
そもそも個人の資格に属するものを会社が経費負担した場合、その個人に対する給与扱いにならないのか?という問題があります。
本来、学資金は給与その他対価の性質のない限り、所得税は非課税となりますが、学校へ修学するための学資金等は、給与その他の対価の性質を有するものに該当するので、原則として課税対象とすることになっています。(所法28条、36条2項、所基通9-14)
しかしながら、業務遂行上の必要に基づき、役員・使用人の職務に直接必要な技術や知識を習得させ、また免許・資格を得るための研修会・講習会への出席費用や大学等の聴講費用などの学資金については、それらの費用として適正なものに限り、給与等として源泉課税対象とせずに、研究研修費などの経費に計上してよいことになっています。(所基通9-15)
学資に充当するために支給される金品を、税務上「学資金」と呼びますが、本件の研修費用の拠出は前述の学資金に該当するので、研修費として経費に計上し給与課税はしなくてよいことになります。
これは、もともと職務の為に知識等を習得させることを通じて、その使用人の職務内容の質的向上を図るためのものであり、それによりその使用人が知識資格等を取得したとしても、それは使用人が使用者の為に日常業務の過程において自ら習得する技術知識等と本質的に異ならないと考えられるためです。

最後に本件のように費用の支出が数回にわたった場合について、税法上その費用が一人につき何回までは教育訓練費として認められる、という回数規定は存在しませんが、その金額がその資格を取得するための費用として適正な額でなければならないことにご留意ください。

社会保険労務士の実務家集団・一般社団法人SRアップ21(理事長 岩城 猪一郎)が行う事業のひとつにSRネットサポートシステムがあります。SRネットは、それぞれの専門家の独立性を尊重しながら、社会保険労務士、弁護士、税理士が協力体制のもと、培った業務ノウハウと経験を駆使して依頼者を強力にサポートする総合コンサルタントグループです。
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SRネット北海道 会長 安藤 壽建  /  本文執筆者 弁護士 浅野 高宏、社会保険労務士 岡本 洋人、税理士 遠藤 成紀



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